一人でやってる社長の色々ブログ

好きなこと、趣味のこと、嬉しいこと、気になったことことなどを気楽にアップしていきます。

2010年12月28日火曜日

危機感を持つということ ~事故に想う~

年の瀬になってきました。
世の中が慌しくなってきていますね。

そんな中、最近新聞やテレビでも大きく取り上げられた交通事故が2件もありました。
2件とも、何の責任も無い小さな子供が命を落としています。

年末だから事故が多い、という訳ではないのでしょうが、
痛ましい事故が続けざまに起こると本当にやりきれない思いで一杯になってしまいます。

突然ですが、僕は18歳の頃から約10年間、400ccのバイクに乗っていました。

東京や神奈川での生活に区切りを付けて長野に戻る時に売り払ってきてしまったので、
それからは乗っていませんが、今でも「あぁ、バイク乗りたいなあ」と思う時もあります。

そのバイクで、僕は大事故を起こしたことがあるのです。

免許を取り、喜び勇んで中古のバイクを買い、
乗り始めて2ヶ月が経った19歳になろうとする夏の事でした。

土曜日の午後、場所は東京の皇居周辺。
その場所は皇居の堀に向かうなだらかな下り坂。とても広い道だったのですが、
奥に行って曲がりがきつくなる緩やかな右カーブを曲がりきれず、
歩道脇の立ち木に激突したのです。

自分の体は大きなダメージを負いました。左肘の関節の骨が砕け、
左側の腰骨(骨盤の端です)が欠け、左側の腎臓を強打してその機能が一時停止、
それだけでなく腎臓から大量に出血してトマトジュースのような血尿が出て、
緊急で輸血をしたものの一時ショック状態となり、呼吸困難を起こしました。

急いで駆けつけてくれた当時一緒に暮らしていた兄や、兄の友人は
「こいつはダメかも知れない」
と本気で思ったといいます。幸いその状況からは程なく脱し、肘の整復手術も行うことができました。

その後、日常生活には支障がない状態になりましたが、1ヶ月半の入院を余儀なくされたうえ、
家族だけでなく当時の職場の方々にも多大な心配と迷惑をかけることになってしまったのです。

今では日常生活には全く支障はありません。神経も大丈夫だったので指先の動きも普通です。
僕は左ききなのですが左手でボールを投げて野球もできます。
でも、当時の手術で2本の釘と2本のワイヤーで整復した左肘は、
今でも真っ直ぐにならないばかりか、曲げる方も70度くらい(右側は一杯に曲げれば45度くらい)
にしかなりません。

体のほうはこんなダメージを受けたのですが、「木」を相手にした自損事故だったため、
自分のバイク以外に物損がなく、また、自分以外の誰にもケガをさせる事がなかったのは
本当に幸いな事でした。

そんな事故を起こしたのですが、自分はバイクを降りませんでした。周囲には
「危ないからやめろ」
という声が多かったのですが、もっと走りたかったんですね。

でも、運転はとても臆病になりました。
いつも、危機感を持って運転するようになりました。

「あのバスの陰から人が出てくるかも」
「前走ってるタクシー、急に止まるかも」
「このカーブ、途中で砂が浮いてて滑るかも」

田舎住まいで車しか運転しない今でも、その恐怖は薄れることがありません。

「あの路地からお年寄りが出てくるかも」
「駐車場の車の陰から子供が出てくるかも」
「停車している車のドアが突然開くかも」

・・・切りがありません。

でも残念な事に、街に目を向けるとそんな危機感を全く持ってないかのような車が
とても多く見受けられます。

駐車場の中なのに凄いスピードで疾走していく車。
異常に車間を詰めて走る車。
路地から広い道に出る時に歩道の手前で全く止まる素振りの無い車。
横断歩道でお年寄りや子供が待っているのに全く止まらない車。

・・・これも切りがありません。

運転に関する事だけでなく、最近はこんな事もありました。

用事があって夜11:30頃に行った24時間営業のスーパー。
駐車場にエンジンをかけっ放しにした軽自動車が一台ありました。
中をチラッと見ると、運転席には誰もおらず、助手席にチャイルドシートに座った赤ちゃん。
そして後部座席には姉妹と思しき小さな女の子が1人。2人とも眠っていました。
子供だけを車内に残して放置すると、国によっては逮捕されます。虐待とみなされるからです。
でも、遅くまで仕事してた母親なんかがどうしても必要な物があり、
仕方なく短時間買い物に行ったのかな、と思いつつチラチラと心配しつつ誰か戻ってくるまで
自分の車内で様子を見ていたのです。

しかし、驚いた事に戻ってきたのは若い夫婦でした。
それも子供たちを心配する様子は全く無いかのように談笑しながら。
鍵もかけていない、エンジンかけっぱなしの車内に子供たちが無事でいる事は、
彼らにとっては「当たり前」の事のようでした。。

両親が揃っているのなら1人は車内に残るべきでしょう。

前述の運転マナーの件と、今書いた子供を放置する親に共通しているのは、
「危機感がない」ということだと思います。

起こり得る最悪の事態を全く想定していないのです。
「え?大丈夫だろ?」と、全く根拠の無い予断しかありません。

時に人の命を奪ってしまう事故というのは、もちろん避け切れないものもあると思います。
でも、少しだけ気を付けて、その時起こり得る最悪の事態を想定した
「危機感」を持つことができれば、避けられた事故は多いのではないでしょうか。
それが「身を守る」という事につながっていくのではないかと思います。

長文になってしまいすみません。
自分ももうすぐ家族が1人増えます。
本当に事故には気を付けて、家族を守っていきたいと思っています。

2010年12月25日土曜日

初めての感覚(子育てにまつわるお話)

前回まで書いていたロス・アラモスシリーズを書こうと思っていたのですが、
ちょっと思うところがあったので今回は別のハナシです。
(子育てに関する内容です。ご興味ない方すみません・・)

12月24日。この日はもうすぐ3歳になるうちの息子が通う保育園の最後の登園日でした。
年末の最終日、ということではなく、本当に最後。先生やクラスメートともお別れです。

この保育園は自宅から近い訳ではなく、カミサンが通勤していた会社への
途上に位置していたこと、それと最初に通わせ始めた時息子はまだ10ヶ月だったのですが、
未満児を受け入れてくれる保育園がその当時はそこしかなかったんですよね。

そんな中、カミサンが来年2月に2人目を出産、ということになり、勤めも10月末で辞めることに。
つまり、息子を家から離れた保育園に通わせ続ける理由が薄れてきた訳です。


年明けからカミサンは出産に備えしばらく実家に戻ることも決まりました。
そんな訳で、今通わせている保育園は年内一杯で退園させて、
春から自宅近くの保育園に新たに通わせよう、という事になったのでした。


で、昨日12月24日、学校でいう2学期が終了する日だったのですが、この日が最後となりました。
最後の日なので、夕方のお迎えには夫婦ででかけてきました。←仕事しろよオイ



息子はクラスメートに作ってもらった折り紙の花束を持って部屋から登場。
今の担任だけでなく、10ヶ月の頃から2年間世話になった何人もの先生たちにたくさん声を掛けられ、
状況が分かってるのか分からないのか、若干照れくさそうな息子。

そんな姿を見ていたら、何かこう、不思議なんですが不思議と寂しさが沸き起こってきたんですよね。
自分が退園する訳でもないのに。(別にカワイイ保育士の先生がたくさんいたからぢゃないですよ)

家に帰ってからもカミサンと話しながら色々考えているうちに思ったのですが、
どうやら自分も知らないうちに息子とその保育園に通っているような感覚があったのかも知れません。

初めての子育て。子供ができる前には分からなかった色々なシチュエーションに
自分としても興味を持って取り組み、息子が保育園に通い始めてからも
園ではどうだったのか、連絡帳で伝えてくれる息子の様子に色々想う日々。 
カミサンが忙しかったり体調悪かったりした時には送り迎えもしてました。

40ウン歳の自分が言うのも相当キモいと言わざるを得ませんが、
子育てに奮闘するうちに保育園や先生方にも親近感を持ってたようです。
変な話、自分も一緒に成長し直しているような(笑)
オッサンの幼児化・・・これはこれで相当怖いですけど。


だから、最後の日に去る時、無意識のうちに自分の中にも「お別れ感」が募り、
寂しさが沸き上がってきたのだと思います。
息子が通った善光寺保育園。仏教系だから云々は別として、とても良い保育園でした。


来春からは新しい保育園に通うことだし、きっとそこでも良い先生がいて、
新しい友達もできるでしょう。彼にとって楽しいことがまたたくさん待ってます。
家族がもう一人増えてから、自分の中にどのような心境の変化が起こるかまだわかりませんが、
家族と共に自分も色んな意味で成長したいものです。

え?そんな事よりもっと稼げ?
そりゃわかっとりますがな・・・

2010年12月23日木曜日

哀愁のロス・アラモス(2)

時は1995年末、というか実は1996年の正月だったのですが、
前回のエントリでやってきた米国カリフォルニアのロス・アラモスという小さな街。


サマランチに似たオヤジさん経営するモーテルに辿り着き、腹も減ったので
近くにある、夜8時までしかやってないというレストランに行くことにした。
レストランはTWIN OAKS RESTAURANTという名前。

調べてみたところWEBサイトは見つからなかったのだがYouTubeに動画がアップされてた。
どうも去年唐突に店自らが動画を3本ほどアップロードしたらしいのだけど、その後全く
放ったらかしにしてるみたいだ。やる気ねぇなぁ。
ちなみに外観は記憶とほとんど変わらなかったけど、内装は新しくなったみたい。もっと前は
茶色というか木の色を多く感じる内装だった気がする。

前置きが長くなりました。
それでもって店へ入店。既にもう暗くなってた記憶がありますが、
恐らく地元の方々と思われるおじさんたちが結構来てました。
自分も席に案内され、とりあえずビールなんかを頼んで、グビりとしながらメニューを見ます。
内を食べようか、と若干の悩みと戦いつつ、脳内では

「肉だよ肉。おいオマエ、アメリカ来たら一度くらい肉食っとけよー」

と、悪魔なのか天使なのか分からないやつが意思決定のイニシアチブを取ってます。
それで仕方なく(本当は自分から進んで)メニューにあった
ニューヨーク・ステーキなるものを注文することにしました。
ちなみにカリフォルニアでニューヨーク?なんていう野暮な質問は無視しますよ。

でもちょっと待て。

・今は腹が減っている
・想定されるボリウムはステーキ通常サイズ+付け合せチョロチョロ+パン位だ
・それだけで足りるのか?
・しかもビール飲んだら食欲増進したぞ
・じゃあサイドメニュー追加しちゃう?
・おう!頼もう頼もう!

と、上記のようなやり取りがこれまた脳内で3秒ほどのうちに行われ、
サイドメニューも頼むことに。
アペタイザーの欄を凝視し、検討の結果、追加メニューはオニオン・リングに決定しました。
この決定がいかに重要だったかを知らずに・・・

ウエイトレスのおねーちゃんを手を挙げてオーダーします。
メニューに書いてある事を伝えるだけなので特に難しくありません。
ステーキの焼き加減は「困った時のミディアムby俺」だし。


あー腹減った。と思いつつ、今日のドライブを思い起こしたりしてると、
程なくしておねーちゃんが皿を持ってやってきます。

ん?ん?

「どーん」とテーブルに置かれたもの・・・・それはオニオン・リングでした。

「うわぁ」。思わず呻き声を出してしまう僕。

そのオニオン・リングは、直径25cmくらいの皿に、標高10cm以上はあろうかという
ブラウン色に輝く山脈を形づくっていたのです。(写真がないのが残念です)
心なしか、皿を持ってきたおねーちゃんがニヤリとした気がしました。

それからはひたすらオニオン・リングとの戦いです。
オニオン・リングを、食う、食う、食う・・・
食べても食べても減らない・・(ToT)

さすがに辛くなってきたので、「もういいや、ステーキ来たらそっちに移行しよう」と思ったのですが、
それがなかなか来ない!をい!ステーキまだぁ??


厨房の方からこっちをチラチラ見てる白衣の厨房マンがさっきからいたのですが、
そのうちに、ある事に気が付きました。

こいつらオニオンリング食べないとステーキ持ってこないつもりだ!!!!(´Д`;

素晴らしいサービスです。お客のペースに合わせて、最適な状態で料理をサーブする。
私が覆面審査員だったら高く評価するポイントでしょう。
でも、この時だけは早く持ってきて欲しかった・・・。(まぁリクエストすりゃ良かったんすけど)

やっとの思いでオニオン・リングとの死闘に決着がつこうとした時、
満を持してニューヨーク・ステーキが運ばれてきました。
しかしステーキの味わいに関する記憶は全くと言っていいほどありません。メインなのに。

それでも食べました。食べ終わりました。
皿を下げに来たおねーちゃん。ニコリと笑って一言「Good Job!!」だって。
しかも「デザートはどう?うふ」と来た。
丁重にお断りして店を出てきたのは言うまでもありません。

でも、後から考えればドギーバッグを頼んで宿に持って帰れば良かったんだよなぁ。
ま、いいか。
でも皆さん、このレストランに行ったらオニオン・リングは要注意です。お気を付け下さい。

腹をさすりつつ店を出る自分。もう帰ろう。休もう。
と思ったのですが、レストランのはす向かいあたりにある、
昼間は気付かなかったバーの存在に惹き付けられたのでした・・・

次回に続く・・
(次回はちょっと真面目な話も出てきます)

2010年12月21日火曜日

哀愁のロス・アラモス(1)

もうかれこれ15年前の話です。
( ていうか「15年も前の話書くなよ!」というご意見もありそうですが無視無視♪)

思い起こせば95年の年末、2回目のアメリカ訪問の時のハナシ。
ロサンゼルスに住む友人宅に世話になり4~5泊くらいさせてもらう間、
その友人宅を拠点にさらに地方に1泊2日で旅に出る、というのをよくやってました。

旅のコンセプトは「知らない小さな街めぐり」です。
地元のスーパーの雑誌コーナーの片隅なんかにあるロードマップを4ドルくらいで買い、
ルートをぼんやりと(あくまで「ぼんやり」がキモです。キッチリ決めない)想定する。
ロサンゼルスに着いた時に借りたレンタカーで北へ行くか南へ行くか。はたまた東へ行くか。
ちなみに西には行きません。西には海しかないので(笑)

その時ぼんやりと決めたのは「北へ行こう」でした。
どこに泊まるかなんて決めません。テキトーに走り、テキトーに何か食べる。
夕方になってきたら適当な街でモーテルに泊まるのがこれまた楽しい。予約も要らないし。
看板に“VACANCY”とあれば空室あり。“NO VACANCY”とあれば満室です。

で、ロサンゼルスから、カリフォルニアを南北に走るU.S.ステートハイウエイの101号線を北上。
2時間ほどでサンタ・バーバラというリゾートシティにたどり着きます。
そのリゾートシティには目もくれず、その時目に留まったのが
サンタバーバラからさらに北にちょっとだけ走ったところにあるロス・アラモスという街でした。

この街、ほんとに小さい。200メートルちょっとしかないメインストリート。
目に付いたのはスーパーとモーテル1件、それから営業してるかどうかわからない
すっごく古いホテル1件、あとはレストラン1件とレンタルビデオ屋があったかな。

時間も時間(L.A.からの出発が遅く既に夕方6時くらい)だったので、この街で
泊まることに決定し、さっき見かけたモーテルに突入。客はガラガラ。
クルマを停めてオフィスに行くと、しばらく何の返答もない。

少し大きな声で「へぇるるろぉーう!」と声を掛けると、
住まいになってると思しき奥の方から、短パンに白ランニングシャツという
客商売にしては極めてカジュアルと言わざるを得ない装いで、
元IOC会長のサマランチを彷彿とさせる顔つきのオヤジさんが出てきた。

僕「今夜一部屋空いてますか?」
サマランチ「何人だ?」
僕「1人っす」
サマランチ「30ドル。現金だ」
僕「O.K.」

クレジットという洒落たシステムに加盟してなかったのか、
はたまた今夜の飲み代が手持ち不足だったのか、
東洋人の僕が不審だったのかは定かではないが30ドルをペロペロッと払うと、
サマランチはカギを渡してくれた。
渡し際に明朝のチェックアウト時間を聞く。レストランもある事は知っていたので
夕食はそこで食べようと思っていたのですが、そのレストランが8時に閉まることも教えてくれた。
(は、早い・・)

指定された部屋の前にクルマを移動し、荷物を降ろしてドアの鍵を開ける。

・・・・・・・開かない。うーむ。

暫し格闘するも、どうにもならないので再びサマランチを呼び出します。
これまたガチャガチャやってたがやっぱだめ。
どうやら鍵が壊れてるらしい。

すると部屋を換えてくれるという。
新しい部屋の鍵を取りに行く時、サマランチが呟きました。
「くそー、あの娘っこめー」
どうやら前の客は女の子だったらしい。
気を取り直して新たに鍵を渡された部屋に入ります。あーヤレヤレ。

そのモーテルの部屋。古めかしいけど結構好きな感じ

とりあえずテレビなどを点け一息入れ、
小さなスーパーにも行って飲み物やらスナックやらを買い込みました。

「そろそろ夕飯でも食べよう」

8時には閉まってしまうレストラン。食いっぱぐれは何としても避けなくてはいかんのです。
近い距離だけどクルマで行っちゃうもんね。

勇んでレストランに向かいます。
小さい街のレストランも悪くない。楽しみだなぁ。

しかし・・・・この後大変な思いをすることになるとは、
この時全く予想していなかったのでした。

(次回に続く) ←すんません。ちょっと書き疲れてしまったので。。

2010年12月14日火曜日

平日7:30A.M.の記憶

さて。
毎度おなじみ(?)の懐古的エントリの時間がやってまいりました。


今日、というか今これを書いている時間が既に12時を回っているので
正確には昨日ですが、ツイッター

「トラのプロレスラーはシマシマパンツ♪」

という書き込みをしたところ、予想通り全く反響はなかったのですが
個人的に色々と思い出してしまいました。

というか、何の歌かご存知です?

そう、私が子供時代を過ごした昭和の時代、フジテレビ系列で朝7:30から
放映していた子供番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」(これ声に出すの恥ずかしいなぁ)
でいつも最後にやってた体操の曲なのでした。
お聴きになりたい方はコチラ (やはり恥ずかしいのでサムネなしで・・^^;)

これ流行りましたよー。
当時読んでたマンガなんかでも劇中で主人公がこれ踊ったりしてたもんなぁ。
作曲は小林亜星さんなんですね。作詞はなんと阿久悠さん!!!うーむ。

この番組を見てから家を出て、
同級生の星山君(元気かなぁ)と一緒に小学校に行く、というのが日課でした。

思えば当時は民放の子供番組って多かった気がします。
ほかにも日本テレビ系列の「おはよう!こどもショー」なんていうのもありましたね。
「ウッドペッカー」なんかの米国アニメも枠内でやってた記憶があります。
放送時間は平日朝7時台だったはずだから、ええ?その当時はまだ
ズームインとかやってなかったのか!これは今では考えられないですね。。

今では朝の子供番組はNHK教育の独壇場ですね。
わが息子(ほぼ3歳)もご他聞に漏れずスイちゃんとサボさんのファンです
(何の番組か分からない方、すんません。テーマ曲をトータス松本さんが歌ってます)

ちなみに私にとってピンポンパンと言えばこの曲
この曲とこの人は自分の子供時代を象徴すると言っても過言ではないかも知れません。
うーん、あれはアレだね。初恋に近い恋心を抱いてたね(キリッ)←何胸張ってんだオイ
 この曲の作曲は服部克久さん。今聴いてもすごく美しい旋律だと思います。。


小林亜星さんとか服部克久さんとか、もちろん他にもたくさんいらっしゃるのでしょうけど
日本の作曲家の方々の、子供たちに対する情操教育への貢献度は計り知れませんね。

2010年12月1日水曜日

アメリカの家???


















ちょっと今回はいつもと違った感じのエントリです。少しだけお仕事絡み。

 
実は11月27・28日と、普段仕事でお世話になっている長野市の輸入住宅ビルダー、
藤岡備建さんが開いた完成見学会の臨時スタッフとしてお手伝いに行ってきました。
「いらっしゃいませー」とか慣れないことに取り組んできたので、ちょっと緊張したのが正直なところ。

で、上の写真をご覧下さい。
これアメリカじゃないですよ。日本、それも地元の長野市内です。

左側にバイクも並んでいますが、これはこのお宅の施主さん(ご主人)がハーレー乗りで、
アメリカの家+アメリカのバイクというコンセプトのもと長野市のハレー・ダビッドソンディーラー、
モトロマンさんとのコラボレーション展示会という趣向で開かれたのでした。

この藤岡備建さんの手による輸入住宅、特にこの「アメリカの家」は、私が言うのも何ですが
本当にアメリカの家の匂いがします。

以前、県内某所に建てられた家をやはり仕事絡みで拝見しに行った事があったのですが、
玄関のドアを開けて中に入った瞬間、ロサンゼルスに行った時に実感する
ホテルやモーテルの中の「向こうの家のあのにおい」がして、思わず住んでる方に
英語でしゃべりかけてしまいました(これは嘘)。

独特かつアメリカ特有の屋根。社長さんが自ら設計します。















それもそのはず、同社の藤岡社長さんは、かつて大手工務店の輸入住宅事業部で修行を積み、
何とラスベガスまで行って家を建ててきた経験もあるというんですから。
 その後も事あるたびに渡米して向こうの家づくりを研究し、独立してからはシアトルに現地スタッフを常駐させて、家づくりのほとんどの部材を直輸入しています。



洗面台も直輸入。向こうのホテルなどはそのままこんな感じです




















さらに、設計も社長自らが図面を描きます。特にこだわるのは屋根の形状。
「アメリカの家の外観は屋根で決まる」と言うほどで、建て主さんの希望する間取りを踏まえつつ描いていきます。一見2階は屋根裏部屋しかないように見えても、しっかりと部屋を確保できている点もポイントです。また、これまた向こうではごく一般的に見られる家と一体化したガレージを備えている点も大きな魅力の一つ。クルマやバイク好きな方にはたまらないですね。

日本で求められる住宅性能はしっかりと確保しながら、間取りや細かな造作、部材の選び方などは経験に裏付けられた米国の家づくりの本流を外さない。
なので、巷でよく目にするアメリカ「風」の家ではなく、これは「アメリカの家だ」と感じたのでしょう。

今回、住宅のビルダーとバイクショップのコラボレーションは初めてだったとのことですが、家に興味を持って来場された人がバイクに興味を持ったり、またその逆も多く見受けられました。全くの異業種でありながら背景に共通のテイストや文化を多く持つカテゴリーでのコラボレーションは、予想以上の相乗効果を生んだと言えるかもしれません。

バイクだけなく国内ではあまり見かけないBBQコンロも展示しました














こんな写真も撮ってみました。何か友人を呼びたくなるなぁ
















 うう。。。いいなぁこんな家。
先立つモノさえ何とかなれば(ならないけど)マジで考えちゃうよなぁ。
働こう。シャカリキになって。。。(T_T)

2010年11月23日火曜日

DANCE! DANCE! DANCE!

ファンキーな曲を聴くと、踊りたくなります。
いや、踊りは得意ではないんですけど。

でも、好きなリズムで好きなメロディーだと、勝手に体が動いてくるんですよねぇ。

ちょっとこの動画をご覧下さい。お時間許せば。


かの有名なソウル・トレインからの映像です。
曲はモーメンツの“MY THING”。確かシルビア・ロビンソンの作曲だったはず。
で、好きな曲であることは言わずもがな、なのですが、
フロアで踊る人々に注目です。

見事に、皆バラバラ、というか、思い思いに踊っています。

個人的には、これが一番楽しいような気がします。
音楽の感じ方、それを受けての体の動きは人それぞれなはず。
それこそ「皆違ってみんないい」みたいな。
実際、自分が(稀に)踊る時も結構適当です。

なので、ライブ会場で全員が同じように飛び跳ねて、同じように拳突き上げて、
…っていうライブ会場はちょっと馴染めないような気がするなぁ。

あ、それって早い話がオッサンだからか???

お後がよろしいようで。。

2010年10月31日日曜日

行きたい病再発

久々のエントリです。
世界中でも片手で足りるくらいの数と思われる読者の皆様、お元気ですか?
今年の夏は暑かったですが


「あぁっ!!」

という間に季節が移り変わり、既にストーブの季節到来です。


そんな中ですが、本日唐突に例の病が再発致しました。
えぇそうです。「ロサンゼルス行きたい病」です。
もう頭の中は妄想だらけです。

まず、成田に行くわけですよ(頭の中で空想)。
僕は長野という地方に住んでるので車または新幹線&スカイライナーかなんかで時間かけて。
羽田もロサンゼルスに直行便が出るようになりましたが、使ったことないので
空想のしようがなく、ここでは出てきません。

成田に着いたら航空会社にチェックインです。
航空会社は多分シンガポール航空かユナイテッド航空。
全日空のマイレージ会員ではあるのだけれど、シンガポール航空は
同じスターアライアンスだし、成田出発が一番遅いので地方から行くには都合が良く、
さらに向こうから帰ってくる時も出発時間が遅いので当日の朝バタバタしなくて済むのです。

免税をひやかし、飛行機に乗り込み、
長距離なので燃料満載につきやや長めの滑走を経て離陸、

食べたり飲んだり寝たり映画見たり寝たりゲームしたりトイレ行ったり屈伸運動したりしながら
何となくサンフランシスコ上空あたりになり、眼下にカリフォルニアの地が広がります。
そろそろ入国用の書類I-94と税関申告書を書いたり。

この辺から段々心のボルテージが上がってきます。
到着は大体現地の昼過ぎの時間。
「着いたら昼飯何食べよう」「夕飯何食べるかな」「ハンバーガー屋は外せまい」
・・・大抵食べること中心です。

ロサンゼルス上空に差し掛かります。高度も随分落ちてきました。
窓からダウンタウンのビル郡が見えたりしてくると、着陸間近です。
「ポーン♪」
シートベルト着用サインも点きました。
そうそう、倒していた座席の背もたれも元に戻して下さいね。
おっと、機体が右に旋回し始めました。ここから180度向きを変え、海に機首を向けるのです。

ロサンゼルス国際空港の周辺にはInglewoodという地区があり、
ロサンゼルスレイカーズの本拠地のスタジアム(っていうのか?バスケは)も
上空から見えますよ。ちなみに余り治安の良くない地域と言われていますね。

どんどん地表が近づいて来ます。
道路を走る車やお店のサインも良く見えます。
空港近くを走るインターステートハイウエイの405号線を超えると・・・

1分も経たないうちに滑走路に差し掛かり、そのまま「ドン」と接地!
同時に「ゴォーーー」とエンジン逆噴射!機体にグッとブレーキがかかります。

「うわーい着いた着いた♪」

------------------

・・・・こんな事をこの2時間くらいずっと考えているのですよ。あぁ。。

当分行けないよなぁ。
今年2月にカミサンの白い目を尻目に行ってきたばかりだし。
お金ないし。
2月にもう一人子供生まれるし。。

こうなったらバンバン稼いで仕事名目で行こう。(あくまで「名目」)
それをモチベーションに仕事するべ(´_`)

拾い物の写真。走ってる車から想像するに50~60年代のロサンゼルス国際空港。今は駐車場は複数階層です。

2010年10月10日日曜日

佐野元春さんという存在

私にとって、佐野元春さんというミュージシャンの存在はちょっと特別なものがあるのです。
(今回は長文になりそうな予感)

最初に知ったのは高校時代。
昼休みに校内放送で「Rock & Roll Night」という曲が流れた日がありました。
それを、教室で僕の斜め左後ろに座ってた柔道部の小松君が眼を閉じて聴き入っていたのです。

曲はけっこう長い曲で、途中で音が控えめになり、囁くような歌声になるところがあり、
そのあたりで僕が話しかけようとしたら
「ちょと待て!これからいいとこなんだから!」と遮られました。
そう、終盤盛り上がる曲なのです。

「そんなに好きなんだ」と思うと共に、
そこで初めて佐野元春というミュージシャンに興味を持ったのでした。

当時はレンタルレコードの時代。LPなんて少ない小遣いでなかなか買えるもんじゃありません。
それまでに佐野さんは既に3枚のアルバムを出していて、最初に借りたのが「SOMEDAY」。
そう、小松君が陶酔してたあの曲が入ってるヤツです。ついで他の2枚も借りました。

これは聴くほどにハマりましたねぇ。まるで自分の中の心の視界がパーッっと開けていくように。
サウンドのカッコ良さもさることながら、都会で生き、そして悩む若き主人公を描いた歌詞の数々。
その世界に憧れを抱きました。

あぁ思い出した。その頃ちょっと(てかだいぶ?)好きだった1個コ下の女の子も、
やっぱり佐野さんが好きだ、っていうことが後にわかって、けっこう話が盛り上がったっけ。。
(こういうパターンは割とその後そのコとうまく行きそうなもんだけど、
僕の場合は「お兄さんみたいだから」なんて言われて撃沈。あーそうですよフラれましたよ)

フラれ話は置いといて、ここからが僕的に重要なハナシです。
佐野さんの曲で特に好きだった「悲しきレイディオ」という曲の歌詞の中に
ジーン・ヴィンセント、チャック・ベリー、リトル・リチャード、バディ・ホリーと
4人の名前が出てくるところがあり、聴き込んでいくほどに
「この人たちはいったいどういう音楽をやってるんだろう」と思うようになったのです。
同じように「ダウンタウン・ボーイ」という曲にはマーヴィン・ゲイの名も出てきます。
自然に、その人たちの音楽も聴いてみよう、という気持ちになりました。

そうです。今の私の音楽的な趣味をかたちづくる大きな大きなきっかけが、ここだったのです。
上に書いた5人の偉大なミュージシャンを知ることで、50年代からのアメリカのポップスや
ロックンロール、リズム&ブルース、そしてソウルへと、好きな音楽が広がっていったのでした。

佐野元春さんは、私の「原点」なのです。今でも、良く聴きます。これからも応援してます。

え?野球ばっかしてた高校時代はクリクリ坊主でフラれた相手は野球部のマネージャーだろって?
あー、えーそのー何だ。それは何ていうかムニャムニャムニャ…ほっといて下さい。


2010年10月1日金曜日

心で聴く瞬間

私は聴く方専門ですが、音楽が大好きです。

ところで、昔から好きだった曲や知ってた曲が、
聴く時やシチュエーションによって全然違って聞こえて来る時がありませんか?

「知ってる」程度の曲だったのに、何かの拍子に、急に自分の中に入り込んでくる。
あるいは、今ひとつ響かなかった曲が突然心を打ち震わせる。

私には二つの耳のほかに、きっと四方八方に向かって「心の耳」があるようです。
嬉しい時、楽しい時、悲しい時、苦しい時、寂しい時。そして、人生の年輪を重ねた時。
その時々で異なる方向に開いた心の耳に、瞬間的にスッと入り込んで来る曲。歌声。

そんな時、僕は全く動けなくなってしまうくらいの熱い感情が沸き起こってくる事もあります。
やっぱ音楽っていいなぁ。
自分の場合、割と狭い守備範囲だけど。

で、以前そんな気分になった曲を一つ。興味があればお聞き下さい。

この曲は、歌ってる人や映像にあまりとらわれずに聴いてみて下さい。
それもできればヘッドフォンで大きめのボリウムで。
透き通った、どこまでも高く伸びる歌声、声量。
来生えつこさん、たかおさんが描いた世界を完璧に表現する力。素晴らしいです。

息子が生まれてしばらく経った頃、いつまでも夜泣き止まず夫婦で困り果てた時、
息子をおぶってこの曲をかけたステレオの前を歩いてたこともあったなぁ。
結局泣き止まなかったけど自分の心がとても癒されました。

2010年9月18日土曜日

2軍落ちと現役復帰

去年、高校以来約27年ぶりに新しいファーストミットを買いました。

それもアメリカから個人輸入で。

ちなみにコレ↓














アメリカ・イーストン社の結構上位ランクのやつ。
日本で同等のものなら4万円は下らないと思われる質感にも関わらず、
国際送料を入れても1万ちょぼちょぼで手に入りました。

しかも、アメリカは軟式野球という概念がないので、全て硬式用。
これは日本ではリトルリーグでバットなんかが名が知れているようですが、
非常にマイナーな存在のブランドです(西武の投手が誰か使ってたかも)。
でもマイナー好きの私としては満足な買い物をした、と満足でした。
これで、高校時代から使い続けていたミットをいよいよ殿堂入りさせよう、と。
「今までお疲れさん!」とか言って地味に祝杯とか挙げてました(笑)。

しかしながら。

新しいミットで臨んだ今シーズン、エラー連発。

冬の間に手に馴染ませようと色々やってたのに、それでもまだダメみたい。
やはり昔みたいに毎日練習している訳じゃないから馴染みも遅いんだ。
自由に開閉できているつもりでも、玉際の微妙な手さばきができてない。
今まで簡単に捕ってたショートバウンドも弾いてしまう始末。。

 
で、草野球とはいえ大会もあるし、背に腹は替えられない、と決断しました。


「殿堂入りしていた旧ファーストミットを現役復帰させる」
「イーストンよ、オマエは2軍落ちだぁ!」


これは実は大きな決断でしたんですよ奥さん(何だそれ)。

使い続けて25年以上、元々しっかりした物だったとはいえ、各部が擦り切れつつあり、
これ以上ボロボロになってしまう前に姿をとどめておこう、と悩んだ末決めたこと。
それが復帰となるとプロ選手で言えば引退して解説者になっていたヴェテランが
現役に戻るようなものです。

既に旧ミットで練習試合を1試合やりました。
感想。「もっと早くこっち使ってりゃ良かった(-_-)」

ちなみに復帰させたのはコレ































ミヅノの硬式“Professional”。多分1982年頃製造。
当時市販されていたミヅノの硬式グラブシリーズの中の最上位モデル。
掌に当たる内張りは鹿皮!
高校1年の時、6歳上の兄が住む東京まで出かけていって、
神田のミヅノの本店まで行って買ったんだよなぁ。兄貴のバイクで2ケツして。

オフクロから費用はもらっていったんだけど、「どうせ買うならいい物を買え」と
足りない分を兄貴が出してくれたような気がする。感謝だ。兄貴。

けっこうボロボロだけど、経過年数の割にはまだしっかりしてると思います。
ていうかこれを使い続けるべき?

ストラトスというクルマ


だいぶ更新が滞ってしまいました。
今日は、車の話です。上の写真のクルマ、ご覧になったことがありますでしょうか?

クライスラー・ストラトス

95年から97年くらい(多分)までクライスラー・ジャパンが正規販売していた超不人気車です。
そう、私乗ってました。1年半程前まで。

自分が買ったのは97年。業者に頼んでオークションで落としてもらいました。
安かったんですよ。1年落ちで走行距離8000キロ、まだ車内は新車のにおいがするレベルで
既に新車価格の半分ほどで買えました。

お金が無かったというのもありますが、このスタイルが好きだったのです。
何と言ってもアメリカのクルマに乗りたかった。

2500ccで、エンジンはV6。しかもミツビシ製。なので純然たるアメリカ車とは
言えない部分もあるのですが、スタイリングや車内の何とも言えないチープさが
とても気に入っていました。
何より、一番気に入ってたのはオーディオ。アメリカのセッティングなのか、
低音がよく鳴っていて良い音をしていました。

結局手放した時には走行13万キロ。
去年も車検を受ければ問題なく通りまだまだ走れたかと思ってましたが。。。

昨年、一人で会社作って仕事を始めるにあたり、泣く泣く手放したのでした。
さすがにこれで営業に回るわけにも行かず。。ね。




横からの図。リアフェンダー上のくびれ?が好きだった。

後方から。グラマラスでダイナミック。




今更これを紹介するのもどうか、と思っていたけれど、
やはり長く乗って愛着があったので時々思い出すのですよ。
なので。

実は今乗っている車は、ストラトス号を面倒見てくれていたショップの社長が紹介してくれた
激安の欧州コンパクトステーションワゴンなのだが、次はやはりアメリカのクルマに乗りたい。
あのチープさ(というか緩さ?)が乗ってて何だかホッとするのです。
「しょうがねぇなぁ、オマエは」みたいな。

2010年9月11日土曜日

谷 啓さんへ

谷啓さんへ



こんにちは。初めまして。
あの、最初から大変失礼かと思いますが、「谷さん」って呼ばせてもらっていいですか?

谷さん、私は今まで谷さんがとても長く人々の心を和ませてきてくれたことに感謝しています。
高度経済成長の時代、昭和の終焉、そして平成と日本を支え、
時には疲れていたであろう人々を笑顔にし、
その結果「また明日頑張ろう!」と思うことができた人は数知れぬことでしょう。

私は昭和40年代の初頭の生まれです。
恥ずかしい話、クレイジーキャッツのメンバーの方々が演じられた映画には正直あまり詳しくありません。
「大人の漫画」もテレビの企画物やWEB上の動画サイトでしか見たことがありません。

でも、私が子供の頃、そうカラーテレビがもう当たり前になった頃、
テレビで「あのギャグ」をよく見ていました。
谷さんの優しい眼差しも子供心に好きでした。
もちろん今でも眼差しの優しさはそのままですよね。
少し前にNHKの美術番組に出演されてた時はよく拝見していましたよ。

そして何よりも、時折番組で披露してくれたトロンボーンの演奏がとても好きなんです。
最近も、今年になって始めたtwitterで昔の同僚と谷さんの演奏について話題にしていたんですよ。

「谷さんはトロンボーンを演奏しているときの目が凄い」
「演奏している時の谷さんは完全無比なジャズメンだ」
「ジャズへの愛にあふれた演奏だ」

私はいつもそう思っていました。
いつか、谷さんの演奏をこの目で見たい。
地方に住む私には少ないかも知れないけど、けど、まだそのチャンスはあるはずだ!


・・・こんなふうに今日の今日まで思っていました。


でも、谷さん、

急に旅立たれてしまいましたね。

きっと天国のハナさんと植木さんが「おい!やっぱトロンボーン入れよう!」
って急に呼んだのでしょうね。

今は、正直自分の中の気持ちがなかなか整理できずにいます。
でも、やっぱりお礼言わせてください。ありがとうございました。

誰でもそうですが、いつか私もそちらへ行くでしょうから、その時は近くで
トロンボーンを吹いている姿を間近で見させて下さいね。

それから、最後にとても図々しいお願いなんですが、
そちらでのステージに上がられた時、うちの親父がいたら「元気でやってる」
って伝えてくれませんか?
親父に顔がそっくりな孫も元気だよ、って。

では、そろそろこの辺で。
いつか「その日」が来たら改めてご挨拶させて頂きたいと思います。

平成22年9月11日
ebizo


DannyBoy・谷啓・桜井センリ・ヒデ・広田三枝子

2010年9月9日木曜日

新潟市

新潟に行きたいのです。


自分は長野生まれ今も長野に住んでいますが、実は父親の転勤なんかがあって、
小学校入学から高校卒業までのヒジョーに多感な時期を新潟市で過ごしました。
なので心は「新潟育ち」「新潟人」の意識が強いのです。

え、オマエの生い立ちに特に興味はないって?
まーそう仰らずにもう少しお付き合い下さいな。

最近歳のせいか子供の頃をよく思い出すんだよねぇ。
子供ができて父親になり、自分と重ねてるってのもあると思うけど。

住んでいたのは地元で西新潟と言われる青山という地区。
通った小学校は青山小学校。中学は小針中学校。
小学校の屋上からは海が見えたっけ。


家も海に近く、チャリで10分くらいでもう海。
だから夏休みなんかはよく海に行った。もう「ヒマだから海でも行くか」って感じ。
信州人のカミサンは、海水浴と言えば「暗いうちに家を出る夏の一大イベント」っていう
感覚でいるのだけど、こっちはそんな子供時代を過ごしてるので
いまだにその部分だけは感覚が合わない 。

そんな新潟に行きたいのですよ。最近。
いやそんな事言わずにとっとと行けばいいのだけど、
我が家の2歳児はまだ長旅が難しそうだし、なかなかね。。

寿司を食べたり美味しい新潟のお酒を飲みたいのもあるのだけれど、
昔の同級生を誘って、当時住んでた辺りとか自分の足で歩き回りたい。

自分の中の新潟の象徴「万代橋」。心の風景。
















思春期を過ごしただけに、色々と思春期ならではの「恥ずかしい記憶」もある新潟。
その辺の恥ずかしい話は往々にして高校時代に集約されている(!)ので次の機会に
書いてみたいと思います。 次の機会がいつかは決まってませんけど。

※上の写真は新潟出身でライター・編集者として活躍されているタカノシゲミツさんのブログ
Back Number 16に掲載されたものをお許しを頂いて掲載しています。こちらも是非ご覧下さい!


2010年9月4日土曜日

朝にはいったい・・

私は音楽を自分で奏でることは極めて苦手なのですが、聞くのは大好きです。

好きなのは色々あります。
50年代~70年代位までのリズム&ブルース(敢えて最近R&Bとは言わないようにしてる)や
ソウル、ブルース、ジャズ、邦楽も時には聞きますよ。まぁ色々です。

自分が20代の頃にソウルと出会ってからは、ハマって結構色々聞きました。
CDやアナログレコードも買い漁ったり。レコード探し目的でロサンゼルス行ったり。
1枚70ドルとかいうのを値切りもせずに買ったこともあったなぁ。。
家計の事情で今は殆ど買わないのですけどね。

ソウル、それも70年代位までのやつは自分としては多分一生の付き合いになりそうな感じです。
人生における喜怒哀楽や愛(&愛の営み…アエギ声付きの曲もアルヨ!)、別離などなど、
心に、魂に響く音楽、それがソウルだと思っています。

ところがですね、最近気になることがありまして。
ソウルって、圧倒的に夜なんですよね。似合う時間帯が。
ハードなシャウトやウィスパー、甘いファルセットなんかは朝にはどう考えても似合わない。
でもアメリカのソウル専門局なんかは朝からバンバン流してたよなぁ。
でもホントに当時のソウル好きのアメリカの人も朝から聞いてたのかなぁ。
…などと考え始めると眠れません。

ちょっと朝聞くソウルについて今度考えてみようと思います。

毎度駄文失礼しました。

2010年9月1日水曜日

一風堂-I LOVE YOU

最初はですね、
今日から9月だし「すみれSEPTEMBER LOVE」にしようかと動画を探していたのだけれど、
この曲を見つけて心が完全に高校時代にフラッシュバックしてしまったので、
うわーこれこれ!!と導かれるようにこれにしました。

こりゃ名曲だなぁ。久しぶりに聴いてそう思った。
テクノの中にキラキラしたPOPSのエッセンスが散りばめられてるように思う。
何と言ってもフィル・スペクターやナイアガラサウンドの影響が見て取れる。

いや、一風堂に詳しい訳ではないんすよ。ただ、最初にこれを偶然耳にした時、
ティーンエイジャー(と言えば聞こえはいいけど只の野球少年)だった私の心の中に
ギュゥッと入り込んだんですよね。

ほら、その時代って色々とうまくいかないじゃないですか。色々と。
悩ましい状況が日々生まれるわけですよ。
特に野球の練習が終わってチャリで家に帰る途中とか。思い詰めちゃったりして。

そんな時にこの曲は入り込んできたなー。相当に。
当時クラスにいたテクノ好きの友人に「一風堂のこの曲が好きだ」と言ったら
「えぇーっっ!(クリクリ坊主頭の)オマエがこんなの聞くの?」と驚かれた記憶があります。
元気かなぁ。伴君。

2010年8月31日火曜日

ロサンゼルスのFM事情を少し

うーん、どうしても東の大陸の話になってしまう。

もっと書くことないのか自分、という感じですが、
今回はロサンゼルスのFMラジオについて書いてみたいと思います。

知っている方も多いかと思いますが、都市の大きさにもよるけど向こうには
本当にたくさんのFM局があります。ハンパなく多い(AMも多いよ)。
何しろラジオのFMチューナーをいじると0.1MHzごとに違う局の放送が入るほど。

しかもそれぞれが専門局。ロックばかり、ゴスペルばかり、ラテンばかり、喋ってばかりなどなど。
その中でも自分が向こうに行ってレンタカーの中で聴くのを楽しみにしてるのが
いいわゆるオールディーズ専門局のKRTHKOLAです。

以前はクラシック・ソウル専門局のKACEなんていう私的に大変素敵な曲もあったのですが、
買収されてラテン専門局になっちゃいました。これは悲しかった。。


もうね、ラジオ聴きながらドライブするロサンゼルスってのは自分のような
「永遠のおのぼりさん」 にはとてつもなく感動的な訳なんですよ。
自分の好きな年代の曲しかかからず、しかも次に何がかかるかわからない。
これは聴いてるのが楽しいですよぉー。

最近はインターネット経由で聞けるラジオ局もあるし、あまり有難味がなくなっちゃった
感もあるのだけれど、以前向こうで安いラジカセを買って、カセットテープに録音して
日本に持って帰って来てました。車の中で聴けばいつもの道が疑似ロサンゼルスになるんすよ!
ちなみに今でも聴いてます。自家用車が旧式なのでカセット付なので聴ける!楽しい!

ちなみに、上のほうにある2つのリンクのうち、KOLAの方はネットで聴けます。
私のイチオシのKRTHの方は、非常に残念ながら日本からは聴けなくなってしまいました。


上の映像はKRTHのDJの姿です。曲は省略されてるけど雰囲気はわかるかと。。

2010年8月27日金曜日

●●●スーパー

またまた東の大陸のお話。

当たり前と言えば当たり前なのですが、ロサンゼルスにもスーパーがたくさんあります。
sその中でも今回取り上げるのがVONSというスーパーです。
こんなカンジのシンプルな構えが特徴。壁の色がシブい
で、このスーパーちょっと我が家では伝説のスーパーになってます。
実は2006年に行った際、このスーパーの近くにあるフライドチキンが美味しいお店に現地のご夫婦に連れて行ってもらったのですが、たらふく食べた後車を運転し始めたら急にお腹が「キュゥッ!!」
としてきてしまい、どうにも危機的状況に陥った私はこの写真のスーパに飛び込み、脂汗を流しながら『え、えくすきゅうずみぃ!きゃゃゃないゆぅずれするぅむ???』と血相を変えてレジの黒人のでかいオバちゃんに訴え、トイレを使わせてもらった思い出があるのです。それ以来、ここの事を我が家では

ウ●チスーパー

と呼んでいます。。

向こうの新聞にはオリコミチラシも入ります。スーパーにも置いてあります。これ見るの好きなんだよねぇ。なんというか、心が豊かになってくる気がする。あくまで気がするだけですよ。

チラシは縦長で6ページくらいあります

日本に比べてすごく安いのもあるのよ
と、こんな事を書きながら「あー行きてぇ」とか呟いているのでした。

2010年8月25日水曜日

東の大陸

今日twitterにも2枚ほど写真をupしたのだけれど、
東の大陸=アメリカという国に旅行するのが好きなのです。

初めて本土に言ったのは今から遡ること15年前、1995年のこと。
ロサンゼルスに転勤で赴任していた友人からの誘いで思い切って行ったのでした。
格安航空券でシンガポール航空のキップを多分88,000円位で買い、
東京に住む友人O氏と2人で彼の地へ。

その後、赴任していた友人が帰国した後も一人で、はたまた結婚してからは
新婚旅行で、などなど現在までにロサンゼルスばかり13回くらい行っています。
本当は他のエリアも行きたいんだけど、いつもそんなに滞在期間が長くないので
日本から直行で行けるロサンゼルスについ行っちゃう。

前述の友人が帰国してからは、その友人を通じて知り合った日本人ご夫妻のお宅に
いつもお世話になっていました。しかもそのご主人は偶然にも長野出身だったんですよね。
(この辺についてはまた改めて書きます)

あと、元々車の運転が好きなので、向こうでレンタカーを借りてのドライブが
何と言っても楽しみだったのです。
ちなみに右側通行は2日くらいで慣れました。

今はカーナビがレンタカーにもオプションで付いてるみたいだけど、
向こうはどんな小さな路地でも(例外は一部あるが)名前が付いていて、
それが地図に載っているので道に迷いにくいのです。

さらに、何回か行っているうちに市内の主要な道を覚えてしまい、
街の中で動きやすくなってしまったのもロサンゼルスばかり行っている
要因の一つです。

長くなるのでこの辺で。
東の大陸についてはまたポツポツと書こうと思います。

上の写真はロサンゼルス市内の多分washingtonという通り。2006年撮影。
綺麗でも何でも無いですが、建物に「BOWL」とあるので昔はボウリング場だったのね。
ハングルの看板が見えるようにこの辺は韓国人街化が著しく、今ではもっと
拡がっていると思われます。とにかく韓国の方々は増えてるように思うなぁ。

2010年8月21日土曜日

手足クチ

2歳の息子が手足口病になって昨日保育園から返却(早退)させられてきた。

熱が出て手・足・口に発疹ができる病気で、多くの場合数日で治るのだけど、
感染力が強いので、熱が下がった後もしばらく登園不可なのだよね。

元気は元気なのだけれど、口の中に大きな水泡ができてて、
物を食べる時に痛そうでかわいそう。

人が集まるところに連れて行けないのだ。
この暑い中どうやって過ごすべ。
カミサンの実家に静岡から来てるイトコの姉ちゃんたちと遊ぶのもボツ。
楽しみにしてたのにねぇ。
仕方ないから家で遊ぶだね。

早く治りたまえ。。

2010年8月20日金曜日

肉が!肉が!

下のビデオを何も言わずにご覧下さい。
あー、BBQがしたい。スーパーで売ってるセットものの薄切り肉じゃなく、
こんな感じの厚いヤツをジュワジュワと焼きたいのです。


Rib Eye Steak Recipe by the BBQ Pit Boys





この動画はBBQ PIT BOYSという米国のバーベキュー集団(何だそれ)が
Youtubeに大量にアップしている動画の一つです。
特にこのリブアイステーキの動画が非常に好きでして、いつも家で見ては
ニヤニヤして家族に白い目で見られているのです。

それにしてもこのBBQグリル欲しい。
焼き目の美しいこと!

前に「これ輸入して売ればどうだろ?」って考えた事があったけど、
食品衛生法の対象になるらしく、キチンとした手順を踏まなけりゃいけないらしい。

でもこれ囲んで家族や友人とワイワイやったら楽しそう~
じゅるじゅる。

2010年8月19日木曜日

はじめに・・続けることに意義がある

今年(2010年)の1月からtwitterは始めていたのだよね。

140文字の中で言いたい事や他愛のない事をまとめるのは良い頭のトレーニングになるし、知り合いだけでなくtwitter上で出会った趣味の合う人と面白いやり取りができるのも楽しい!

しかし、どうにも「もっと書きたい」という時があるのも事実。音楽やクルマなんかの趣味のこと、仕事のこと、ちょっと重いけど人生のことなんかね。これはほぼ自己満足だけど。

もう一つ、一人で会社を立ち上げて仕事(まだ少ないけど(T_T) )をしているので、初めて会った人や普段お付き合いをさせて頂いている方々にも「もっと自分を知ってもらいたい!」というのもあり、このBloggerにブログを立ち上げてみました。

実は仕事の独自ドメインを取得した時にレンタルサーバーも借りていて、その気になればHPも立ち上げられるのだけれど、能力に乏しいのと資金難もあって未だ手付かず。その付帯サービスの会員向けブログも始めたこともあるけど4回更新で挫折。これはいかんです。誠に遺憾。

まだまだ勉強が必要ながら、Bloggerはgoogleと連携しているのでなーんとなく便利そうだし、専ら閲覧中心ながらyoutubeからもダイレクトに共有できるところあたりをモチベーションに、今度こそ継続していきたいと思っています。

どのくらいの方々に読んでもらえるかは自分次第。自己満足でありつつ面白みのある内容にしたいと思います。皆様どうぞよろしくです。