一人でやってる社長の色々ブログ

好きなこと、趣味のこと、嬉しいこと、気になったことことなどを気楽にアップしていきます。

2010年9月18日土曜日

2軍落ちと現役復帰

去年、高校以来約27年ぶりに新しいファーストミットを買いました。

それもアメリカから個人輸入で。

ちなみにコレ↓














アメリカ・イーストン社の結構上位ランクのやつ。
日本で同等のものなら4万円は下らないと思われる質感にも関わらず、
国際送料を入れても1万ちょぼちょぼで手に入りました。

しかも、アメリカは軟式野球という概念がないので、全て硬式用。
これは日本ではリトルリーグでバットなんかが名が知れているようですが、
非常にマイナーな存在のブランドです(西武の投手が誰か使ってたかも)。
でもマイナー好きの私としては満足な買い物をした、と満足でした。
これで、高校時代から使い続けていたミットをいよいよ殿堂入りさせよう、と。
「今までお疲れさん!」とか言って地味に祝杯とか挙げてました(笑)。

しかしながら。

新しいミットで臨んだ今シーズン、エラー連発。

冬の間に手に馴染ませようと色々やってたのに、それでもまだダメみたい。
やはり昔みたいに毎日練習している訳じゃないから馴染みも遅いんだ。
自由に開閉できているつもりでも、玉際の微妙な手さばきができてない。
今まで簡単に捕ってたショートバウンドも弾いてしまう始末。。

 
で、草野球とはいえ大会もあるし、背に腹は替えられない、と決断しました。


「殿堂入りしていた旧ファーストミットを現役復帰させる」
「イーストンよ、オマエは2軍落ちだぁ!」


これは実は大きな決断でしたんですよ奥さん(何だそれ)。

使い続けて25年以上、元々しっかりした物だったとはいえ、各部が擦り切れつつあり、
これ以上ボロボロになってしまう前に姿をとどめておこう、と悩んだ末決めたこと。
それが復帰となるとプロ選手で言えば引退して解説者になっていたヴェテランが
現役に戻るようなものです。

既に旧ミットで練習試合を1試合やりました。
感想。「もっと早くこっち使ってりゃ良かった(-_-)」

ちなみに復帰させたのはコレ































ミヅノの硬式“Professional”。多分1982年頃製造。
当時市販されていたミヅノの硬式グラブシリーズの中の最上位モデル。
掌に当たる内張りは鹿皮!
高校1年の時、6歳上の兄が住む東京まで出かけていって、
神田のミヅノの本店まで行って買ったんだよなぁ。兄貴のバイクで2ケツして。

オフクロから費用はもらっていったんだけど、「どうせ買うならいい物を買え」と
足りない分を兄貴が出してくれたような気がする。感謝だ。兄貴。

けっこうボロボロだけど、経過年数の割にはまだしっかりしてると思います。
ていうかこれを使い続けるべき?

ストラトスというクルマ


だいぶ更新が滞ってしまいました。
今日は、車の話です。上の写真のクルマ、ご覧になったことがありますでしょうか?

クライスラー・ストラトス

95年から97年くらい(多分)までクライスラー・ジャパンが正規販売していた超不人気車です。
そう、私乗ってました。1年半程前まで。

自分が買ったのは97年。業者に頼んでオークションで落としてもらいました。
安かったんですよ。1年落ちで走行距離8000キロ、まだ車内は新車のにおいがするレベルで
既に新車価格の半分ほどで買えました。

お金が無かったというのもありますが、このスタイルが好きだったのです。
何と言ってもアメリカのクルマに乗りたかった。

2500ccで、エンジンはV6。しかもミツビシ製。なので純然たるアメリカ車とは
言えない部分もあるのですが、スタイリングや車内の何とも言えないチープさが
とても気に入っていました。
何より、一番気に入ってたのはオーディオ。アメリカのセッティングなのか、
低音がよく鳴っていて良い音をしていました。

結局手放した時には走行13万キロ。
去年も車検を受ければ問題なく通りまだまだ走れたかと思ってましたが。。。

昨年、一人で会社作って仕事を始めるにあたり、泣く泣く手放したのでした。
さすがにこれで営業に回るわけにも行かず。。ね。




横からの図。リアフェンダー上のくびれ?が好きだった。

後方から。グラマラスでダイナミック。




今更これを紹介するのもどうか、と思っていたけれど、
やはり長く乗って愛着があったので時々思い出すのですよ。
なので。

実は今乗っている車は、ストラトス号を面倒見てくれていたショップの社長が紹介してくれた
激安の欧州コンパクトステーションワゴンなのだが、次はやはりアメリカのクルマに乗りたい。
あのチープさ(というか緩さ?)が乗ってて何だかホッとするのです。
「しょうがねぇなぁ、オマエは」みたいな。

2010年9月11日土曜日

谷 啓さんへ

谷啓さんへ



こんにちは。初めまして。
あの、最初から大変失礼かと思いますが、「谷さん」って呼ばせてもらっていいですか?

谷さん、私は今まで谷さんがとても長く人々の心を和ませてきてくれたことに感謝しています。
高度経済成長の時代、昭和の終焉、そして平成と日本を支え、
時には疲れていたであろう人々を笑顔にし、
その結果「また明日頑張ろう!」と思うことができた人は数知れぬことでしょう。

私は昭和40年代の初頭の生まれです。
恥ずかしい話、クレイジーキャッツのメンバーの方々が演じられた映画には正直あまり詳しくありません。
「大人の漫画」もテレビの企画物やWEB上の動画サイトでしか見たことがありません。

でも、私が子供の頃、そうカラーテレビがもう当たり前になった頃、
テレビで「あのギャグ」をよく見ていました。
谷さんの優しい眼差しも子供心に好きでした。
もちろん今でも眼差しの優しさはそのままですよね。
少し前にNHKの美術番組に出演されてた時はよく拝見していましたよ。

そして何よりも、時折番組で披露してくれたトロンボーンの演奏がとても好きなんです。
最近も、今年になって始めたtwitterで昔の同僚と谷さんの演奏について話題にしていたんですよ。

「谷さんはトロンボーンを演奏しているときの目が凄い」
「演奏している時の谷さんは完全無比なジャズメンだ」
「ジャズへの愛にあふれた演奏だ」

私はいつもそう思っていました。
いつか、谷さんの演奏をこの目で見たい。
地方に住む私には少ないかも知れないけど、けど、まだそのチャンスはあるはずだ!


・・・こんなふうに今日の今日まで思っていました。


でも、谷さん、

急に旅立たれてしまいましたね。

きっと天国のハナさんと植木さんが「おい!やっぱトロンボーン入れよう!」
って急に呼んだのでしょうね。

今は、正直自分の中の気持ちがなかなか整理できずにいます。
でも、やっぱりお礼言わせてください。ありがとうございました。

誰でもそうですが、いつか私もそちらへ行くでしょうから、その時は近くで
トロンボーンを吹いている姿を間近で見させて下さいね。

それから、最後にとても図々しいお願いなんですが、
そちらでのステージに上がられた時、うちの親父がいたら「元気でやってる」
って伝えてくれませんか?
親父に顔がそっくりな孫も元気だよ、って。

では、そろそろこの辺で。
いつか「その日」が来たら改めてご挨拶させて頂きたいと思います。

平成22年9月11日
ebizo


DannyBoy・谷啓・桜井センリ・ヒデ・広田三枝子

2010年9月9日木曜日

新潟市

新潟に行きたいのです。


自分は長野生まれ今も長野に住んでいますが、実は父親の転勤なんかがあって、
小学校入学から高校卒業までのヒジョーに多感な時期を新潟市で過ごしました。
なので心は「新潟育ち」「新潟人」の意識が強いのです。

え、オマエの生い立ちに特に興味はないって?
まーそう仰らずにもう少しお付き合い下さいな。

最近歳のせいか子供の頃をよく思い出すんだよねぇ。
子供ができて父親になり、自分と重ねてるってのもあると思うけど。

住んでいたのは地元で西新潟と言われる青山という地区。
通った小学校は青山小学校。中学は小針中学校。
小学校の屋上からは海が見えたっけ。


家も海に近く、チャリで10分くらいでもう海。
だから夏休みなんかはよく海に行った。もう「ヒマだから海でも行くか」って感じ。
信州人のカミサンは、海水浴と言えば「暗いうちに家を出る夏の一大イベント」っていう
感覚でいるのだけど、こっちはそんな子供時代を過ごしてるので
いまだにその部分だけは感覚が合わない 。

そんな新潟に行きたいのですよ。最近。
いやそんな事言わずにとっとと行けばいいのだけど、
我が家の2歳児はまだ長旅が難しそうだし、なかなかね。。

寿司を食べたり美味しい新潟のお酒を飲みたいのもあるのだけれど、
昔の同級生を誘って、当時住んでた辺りとか自分の足で歩き回りたい。

自分の中の新潟の象徴「万代橋」。心の風景。
















思春期を過ごしただけに、色々と思春期ならではの「恥ずかしい記憶」もある新潟。
その辺の恥ずかしい話は往々にして高校時代に集約されている(!)ので次の機会に
書いてみたいと思います。 次の機会がいつかは決まってませんけど。

※上の写真は新潟出身でライター・編集者として活躍されているタカノシゲミツさんのブログ
Back Number 16に掲載されたものをお許しを頂いて掲載しています。こちらも是非ご覧下さい!


2010年9月4日土曜日

朝にはいったい・・

私は音楽を自分で奏でることは極めて苦手なのですが、聞くのは大好きです。

好きなのは色々あります。
50年代~70年代位までのリズム&ブルース(敢えて最近R&Bとは言わないようにしてる)や
ソウル、ブルース、ジャズ、邦楽も時には聞きますよ。まぁ色々です。

自分が20代の頃にソウルと出会ってからは、ハマって結構色々聞きました。
CDやアナログレコードも買い漁ったり。レコード探し目的でロサンゼルス行ったり。
1枚70ドルとかいうのを値切りもせずに買ったこともあったなぁ。。
家計の事情で今は殆ど買わないのですけどね。

ソウル、それも70年代位までのやつは自分としては多分一生の付き合いになりそうな感じです。
人生における喜怒哀楽や愛(&愛の営み…アエギ声付きの曲もアルヨ!)、別離などなど、
心に、魂に響く音楽、それがソウルだと思っています。

ところがですね、最近気になることがありまして。
ソウルって、圧倒的に夜なんですよね。似合う時間帯が。
ハードなシャウトやウィスパー、甘いファルセットなんかは朝にはどう考えても似合わない。
でもアメリカのソウル専門局なんかは朝からバンバン流してたよなぁ。
でもホントに当時のソウル好きのアメリカの人も朝から聞いてたのかなぁ。
…などと考え始めると眠れません。

ちょっと朝聞くソウルについて今度考えてみようと思います。

毎度駄文失礼しました。

2010年9月1日水曜日

一風堂-I LOVE YOU

最初はですね、
今日から9月だし「すみれSEPTEMBER LOVE」にしようかと動画を探していたのだけれど、
この曲を見つけて心が完全に高校時代にフラッシュバックしてしまったので、
うわーこれこれ!!と導かれるようにこれにしました。

こりゃ名曲だなぁ。久しぶりに聴いてそう思った。
テクノの中にキラキラしたPOPSのエッセンスが散りばめられてるように思う。
何と言ってもフィル・スペクターやナイアガラサウンドの影響が見て取れる。

いや、一風堂に詳しい訳ではないんすよ。ただ、最初にこれを偶然耳にした時、
ティーンエイジャー(と言えば聞こえはいいけど只の野球少年)だった私の心の中に
ギュゥッと入り込んだんですよね。

ほら、その時代って色々とうまくいかないじゃないですか。色々と。
悩ましい状況が日々生まれるわけですよ。
特に野球の練習が終わってチャリで家に帰る途中とか。思い詰めちゃったりして。

そんな時にこの曲は入り込んできたなー。相当に。
当時クラスにいたテクノ好きの友人に「一風堂のこの曲が好きだ」と言ったら
「えぇーっっ!(クリクリ坊主頭の)オマエがこんなの聞くの?」と驚かれた記憶があります。
元気かなぁ。伴君。