一人でやってる社長の色々ブログ

好きなこと、趣味のこと、嬉しいこと、気になったことことなどを気楽にアップしていきます。

2011年1月15日土曜日

Johnny B Good

余りにも有名、余りにもスタンダード。

このチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」はそんな表現をしたくなります。
そもためにかえって余り聴く機会がない、という。

で、先日車で遠出をした機会があり車中で久々にじっくりと聴いたのですが、
今まであまり気にしたことがなかったピアノの音がとても気になりました。

イントロの超有名なギターから「ズン」とドラムが加わり、
程なくして聞こえてくるそのピアノなのですが、
1コーラス目の途中、というか終盤くらいまではおとなしくしているものの、
突然「もー我慢できねえぜ!!」と言わんばかりにクレージーな音色になってきます。

間奏なんかもう凄いです。
右手でブギウギを彷彿とさせる感じで高音叩きまくり!

そのピアノの音聴きたさに、車内で5回程リピートしてしまいました。

やっぱスタンダードになるだけの事はあるわー。すごいわー。
・・・と、1人で雪の中を運転する車内で口を半開きにしていたのでした。

今度1人で「大スタンダード大会」をやろうかなぁ。
リトル・リチャードとか、バディ・ホリーとか、エディ・コクランとか。

また新しく自分中で発見する事があるかも知れないです。




2011年1月13日木曜日

哀愁のロス・アラモス(番外)

過去3回にわたり、書いてきましたカリフォルニアの小さな街、ロス・アラモス。
エピソードのご紹介は終わりとなりましたが、
当時の写真を少ないですがご紹介します。

当時はデジカメなど持っていなかったので、古いプリントをスキャンしたので
色があまり綺麗ではないですがご勘弁下さい。




まずはメインの通りにあった古いガソリンスタンドの跡地。
非常にクラシカルな形のポンプが残っていました。



続いてこれまた古い建物の「ユニオンホテル」。
果たしてホテルとして営業していたのか、はたまた遺産として残していたものなのか
ちょっと分かりませんでしたが、100年くらい(適当換算)経ってそうな趣でした。



最後は、サマランチ親父が経営していたモーテルの中庭で撮ったものです。
顔出しする勇気はありませんでしたが私です。
バックのモロ50’sのボロ車は親父さんの持ち物でしょう。
運転席の窓のガラスがなく、シートで覆ってありました。
ボディもサビサビです。直して乗るつもりだったのかなぁ。



いやー、終わってみれば全然哀愁でもなんでもないお話でしたが、
ご覧頂きありがとうございました。

ロス・アラモスへはその後まともに行ったことはないのですが、
数年前にやはり貧乏旅行で行った際にメインストリートを通り抜けたことはありました。
全然雰囲気は変わってなかったですが、 今はどうかなぁ。
サマランチ親父まだやってるかなぁ。。

2011年1月12日水曜日

哀愁のロス・アラモス(3) ~スペンサーさんに捧ぐ~

随分と間が空いてしまいましたが、アメリカ旅行で訪れた小さな街、
カリフォルニア州ロス・アラモスシリーズの3回目です。
今回は最初例によってちょっとおちゃらけ気味に始まりますが、
最後の方では色々と考えさせられる事になった体験を書いてみたいと思います。


怒涛のオニオンリング攻撃を耐え抜いたレストランを後にし、外に出た僕。
そのままモーテルに帰ろうと思ったのですが、レストランの斜め向かいあたりに
1件の小さなバーがあるのに気付きました。

店の名前は覚えていません。Googleのストリートビューで見ても昼間の撮影のせいか
今ひとつ「この店!」という確信が持てるビジュアルがないのですが、
とにかくあったんです。

ドアがライトで照らされ、中が見えない窓には日本でも良く見るビールのロゴのネオンサイン。
元々バー好きだった僕は、「おー」と思いながら、道路を渡り近くに歩いていきました。
中からはお客さん同士が喋っているのか、ガヤガヤと酒場特有の音が漏れてきます。

「うわーここ入りたいなぁ」

余り観光客相手のお店に興味がなかった僕は、アメリカの田舎街の小さなバーが
どういう空間なのかとても興味が沸いてきて、すぐにそんな気持ちになりました。

しかしながら、1人で初めて来た街、しかも異国。
なかなかドアを押して中に入る勇気が出てきません。
そこに見慣れぬアジア人が佇んでいるだけでも十分不審なのですが、
気が付けばそのバーのドアの前を行ったり来たり何往復もしていました。

次の瞬間、店の中から突然音楽が聞こえてきました。
しかも自分にとっては心を鷲掴みにされる曲。
それは、アレサ・フランクリンの「リスペクト」という大好きな曲でした。

「あぁ、こ、これはだめだ・・ギィ(ドアを押す音)」

音楽と酒が切り離せない僕は、頭で考える前に曲が聞こえて来た時点でドアを開けてましたね。

中に入ると、お店の中は比較的大きめな「コ」の字型のカウンターのみ。
満席で20人くらい?と思われるキャパに、6割くらいのお客さんが入ってました。
そして、ドアを開けた瞬間に、当然の事ながらほぼ全員の視線が僕に注がれます。

そこでひるんではダメダメ。

そう瞬間的に自分に言い聞かせ、平静を装いながら
空いているスツールを指して「座ってもいいですか?」とカウンターの中の
金髪のおネエさん(少なくともオバさんではなかった)に聞くと、あっさり

「もちろんいいわよ♪」

そりゃそうだ。別に強盗しに踏み込んだ訳じゃないんだもん。

ビールを頼みました。記憶が確かならクアーズ。向こうは大体小瓶で出てきてラッパ飲みです。
値段はこれも記憶が確かなら2ドル50。ロサンゼルス市内で飲むより随分安いな、と
思ったのを覚えています。

その頃には私に注がれていた視線も元に戻り、またお店の中はガヤガヤに。
お客さんは夫婦で来ていると思しき方々も多く、自分以外の全員が地元の人のように思いました。

その時です。ビールを二口くらい飲んだ頃でしょうか。
隣から不意に話しかける声がします。

「中国人か?」

見るとほぼ白髪のご老人でした。
東洋人が隣に座ったので、中国人と思ったのでしょう。
その方にしてみれば、身近な東洋人は中国人だったようです。

私は「いえ、日本人です」と答えました。
その後、その方と一言二言さらに会話した気もするんですが、よく覚えてないんですよね。
・・・その直後に目にした情景が、余りにも僕にとって驚きだった事がその理由です。


ご老人が、急に鼻をすすりながら涙ぐみ始めたのです。


僕は何が起こったのか全く理解できませんでした。
隣に座っているご老人が、僕が日本人だと分かった途端に泣き始めた。
いったいどうしたんだろう???

話を聞くと、名前はスペンサーさん。よく覚えています。
第二次大戦で日本相手に戦った経験を持った方でした。
そしてその次にスペンサーさんが目を真っ赤にしながら僕にかけた言葉を、
僕はこの先一生忘れることはないでしょう。


「あの戦争は、お互いのGovernment(政府)が悪かったんだ。だから、私と君は友達だよ」


そう言ってスペンサーさんは僕に握手を求めてきました。
僕も、少し戸惑いながらも手を差し出しました。
実はスペンサーさんは娘のル・アンさんと来ていたのですが、その娘さん曰く

「突然目の前に日本人が現れて衝撃的だったのよ」

会話の全ては記憶していないのですが、スペンサーさんは米国軍人だったことに
高い誇りを持っている、と言っていました。人生における自らの責務を果たしたわけですから、
1人の人間としては当然のことでしょう。

でも、戦争で他の国と戦い、攻撃し、命を奪う行為に対して葛藤もあった。
自分の国を愛し、守るために戦うけれども、日本人一人ひとりに恨みがあった訳じゃない。
そのことで、戦争が終わった後もずっと心に傷を抱えてたんだ。
・・・そう僕は受け止めました。

自分には戦争の経験がありませんが、両親から戦時中の話は聞いています。
何より、母方の祖父がフィリピンで戦死しています。
この適当な私のブログなんかで戦争の大儀や是非を語ることは到底できませんが、
戦争が不条理に満ちたものである事は間違いないと思います。

初めて訪れた異国の街で経験した思いもよらない出会い。
今、そのスペンサーさんがどうされているかは知る由もありませんが、
そのロス・アラモスでスペンサーさんに会った夜は私とってとても貴重な体験となったのでした。

2011年1月6日木曜日

ビル・ヘイリーとコメッツ

今日は色々と音楽関係の動画を見ていたのですが、
辿り着いたのがこの曲です。
Bill Haley & The Cometsの"Rock Around The Clock"。

1955年に全米1位の大ヒットとなってロックンロールの幕開けを告げた、
と言われています。

うーん、この曲に限らず、僕も大好きなエディ・コクランなんかもそうなんだけど、
この時代のロックは音が複雑なわけではなく、並外れた歌唱力があるわけでもないよね。
やっぱりビートとグルーブがもの凄いんだ。

ガツンガツン胸に飛び込んで来る音の礫(つぶて)が、聴く者の心を揺り動かす。
音だけを見れば本当にシンプルなのに、響く。
原酒のような感じ、と言えばいいのか。









 


この2つの動画は、音楽史に残すべき貴重なものだよなぁ。本当に。
画質とか音質とか云々はもう全く関係なし!
心を無防備な状態にして、伝わってくるものを全身全霊で受け止めてやる!!

2011年1月5日水曜日

年頭所感

全国5人くらいの読者の皆さん、あけましておめでとうございます。
兎年の2011年、引き続きこの適当ブログにお付き合い下さいませ。

さて、昨年末は何かとバタバタしてしまい2010年の総括をしてませんでした。
ついては年頭にあたり昨年の総括から。


何かにつけて甚だ不十分につき、一層の奮起が必要(´・ω・`)


…以上で2010年の総括を終了します。


で、続きまして新たな2011年の年頭所感を申し述べたいと思います。


今まで以上に公私にわたる分野で奮起して参る所存です(`・ω・´)


…上記の言葉を以って2011年の年頭所感とさせて頂きます。


え?本気ですよ私ゃ本当に。やりますよマジで。仕事も子育ても家事も!

ツイッターやこのブログでも少し書いてはおりますが、
私事ながら、2月に家族が1人増える予定なんです。

カミサンと3歳児の息子は年明けから実家に行っているので、
予定通りならこの約2カ月間にわたり、久々の1人暮らしが始まりました。
昨日、カミサンの実家から自分だけ戻ってきたので、今日から1人暮らしです。

家族と共に暮らす状態に比べ、時間的な制約が減るこの期間中に、
様々なテコ入れを図る所存です。一部を挙げるならば…


仕事→より積極的な営業活動&新たなチャレンジでも既存のお客様は大切にね
家事→まあ1人だから大したことないけどそれなりにね
体調管理→少しは絞るぞ野球の素振りもしよう
音楽→最近あんまりレコード聴いてなかったから針落とす
風呂→髭剃りを念入りにするか
整理整頓→捨てる!捨てる!捨てる!
睡眠→ハナちょうちん
トイレ→快●快●!
ゴハン→腹八分目
頭髪→頭皮マッサージで毛根活性化

…と、切りがないのでこの辺にしときますが、兎に角やりますですよ。

時間の使い方は自分次第。
いつ、何をしようと誰からも文句を言われない日々がしばらく続きます。
ダラダラしようと思えば即・堕落です。

2カ月の間に、どれだけの成果を挙げられるか。
新たな子供の誕生を楽しみにしつつ、踏ん張りたいと思います。

そだ。1人暮らしが終わる2カ月後、またこの場で総括しよう。(←予定)

皆様本年もよろしくお願い申し上げます。