一人でやってる社長の色々ブログ

好きなこと、趣味のこと、嬉しいこと、気になったことことなどを気楽にアップしていきます。

2013年6月28日金曜日

今日は交通安全の日

のっけから変なタイトルですみません。
勝手ながら、今年から今日6月28日は「我が家の交通安全の日」と制定した次第です。

6月28日は、もうだいぶ昔になりますが1985年に上京したての私が400ccバイクで皇居の堀端にて自爆事故を起こした日です。当時まだ18歳。東京での運転も慣れる前、しかもバイクを買って2カ月弱という状況で浮かれた運転をした結果です。事故で左肘骨折、骨盤部分骨折、左腎損傷のケガを負い入院1か月半。幸いこうして今も元気に過ごしていますが、色々な方々に心配と迷惑をかけました。

毎年振り返って気持ちを戒めているのですが、今年は現場がわかる
写真を用意していますのでお時間ある方ご覧下さい。

国土交通省(当時は建設省)正門前を青信号を待って発進し、ゆる
やかに下りつつ右に曲がりながら銀座方面に向かう道路。スピードを出し過ぎて左にふくらみ、街路樹に激突!という流れです。警察庁の門番をしていた警官が走ってやってきて救急車を呼んでくれたのですが、その時の駆け寄ってきてくれた足音は今でも忘れられません。

事故、ほんと気を付けなきゃいかんです。
 (ていうか、現場で街路樹にぶつかってなかったらケガは軽かったかも知れませんが、確実に皇居のお堀に落ちていて新聞に載ってたかも…)
現場位置図。命も危なかったが堀に落ちてたかもしれなかった

2013年3月5日火曜日

いつでも Love you -須藤薫さん



心は 先にIn the air

あなたのそばへ

あの角曲がれば  目に飛び込む

やさしい  Smiling face

 大滝詠一さん作詞・作曲の「あなただけI love you 」。
大滝さん独特の、美しくせつない旋律を奏でる転調が多い曲を歌いこなした歌手・須藤薫さんが、201333日に亡くなったと報じられました。 私が須藤さんを知ったのは、1990年代に入ってから。ご本人が一時活動を控えられていた頃だと思います。大滝さんがプローデュースされた作品集の中に、上記の曲が収録されていたのがきっかけです。

 須藤さんの歌声への個人的な印象は「どこか、セピア」です。決して「古い」というような意味ではありません。アメリカの雑貨店にあふれるような落ち着いたパステル調の色彩を帯びながらも、どこかヴィンテージなものを感じさせる「何か」。豊かな音域の歌声は、聴くほどに心が休まる思いでした。

 まだ50代。杉真理さんとのジョイントでの活動も好評を博し、自分の中では完全に「これからも活発に歌い続けていく方」と位置付けられていただけに、これを書いている今もまだ信じられない思いで一杯です。今ではツイッターやFacebookに色々なことを書き込むことが多く、ブログは放置気味でしたが、自分の中にしっかりこのことを留めておきたく、久々に更新しました。

 下記はその「あなただけ I LOVE YOU」。須藤さんご自身がin the air そして in the wind となってしまったことは本当に残念ですが、この曲が流れるたび、聴く者の近くに舞い降りてきてくれることを祈りたいと思います。



2012年8月17日金曜日

旅に出たい感。

異国にある見知らぬ街。そこで暮らす見知らぬ人の家を訪ねてみたい、と良く思うのです。まぁ、ここで言う「異国」とは大方米国あたりを指しているわけですけども。

例えば、だいぶ昔に行ったことがあるカリフォルニアのロス・アラモスという本当に小さな街。そこで泊まった安モーテルのランニング姿にサンダル履きのご主人。きっと家には若い頃の写真とか、子供さんたちの幼い頃の写真とかが飾られてあって、居間には読みかけの雑誌。台所にはお気に入りのシリアルの箱とか次の週末に開けようと思っているカリフォルニアワインなんかが置いてある。

そこでアーモンドの香りのするコーヒーなどを図々しくも頂きながら、ご主人に若かった頃の話や趣味の話、お子さんの話なんかをとりとめもなく聞く。有名人でも何でもない、異国の田舎町に普通に暮らす普通の人の「物語」。自分が自分の世界の中で過ごしてきた時間軸とは全く違うところでやはり流れていた時間軸にとても惹かれます。そんな旅をしたい、と思ったりしているのでした。

取りとめもない話ですみません。ていうか、この手の投稿ばっか。重ねてすみませんです。。

2012年8月1日水曜日

行きたいのです。あの街に。


最近ずっとサボってまして、超久々の更新です。
FBやTwitterから来てくれた方には
「ブログなんてやってたの?」
なんていう方もいらっしゃるかもしれません。
いやはや、まあその辺は適当に流して頂いて。

実はものすごく前に書いたこともあるのだけど、
またしても悶々とした心境に陥っています。

ロサンゼルス行きたい病が再発しました。
またしても。
ため息出てます。

実は2年ほど前に一度行っています。
人生の先輩であり、私の音楽的志向の師でもあるKさんと一緒に。
でもその時は残念ながら自分の都合で滞在期間を短くせざるを得なかった。
わずか3泊だったからね。
いやもちろん、3泊でも行けただけ幸せだったとは思います。
でも、3泊では個人的な旅の醍醐味、現地を拠点としたカリフォルニア無計画ドライブ旅行ができない。何せ着いた日は時差ボケで睡魔との戦いだし、出発前日はL.A.にいない訳にいかない。二日目にドライブ旅行に出てしまうと今度はL.A.市内を回る時間が極端に少なくなってしまう。

思えば2005年4月に結婚する前の2004年秋or冬、
または2005年2月くらいに無理してでも一人で行って来ればよかった。
当時は結婚することが決まって、「どこにそんなおカネがあるの!」的な、
見えない圧力があって(これカミサンに見られたら殺される)、断念したんだった。
独身時代、片手じゃ足りないほど通ったロサンゼルス。
本当は独身最後に一人で行きたかった。
安いチケット買って、総額10万円強くらいで行く旅行だったら行けた。

今はとてもじゃないけど無理。

4歳&1歳のミニラ&ミニミニラたちの世話をカミサンに任せて旅立つ(しかも遊びで)なんていう暴挙は決して許されない。やたらドタバタしているくせに一向に裕福になる兆しさえ見えない家計からはそんな費用は出る訳もない。いくらかの余剰が出たとして、それがダンナ一人でL.A.を満喫しに行く費用なんかには間違っても充てられないのは火を見るより明らか。行くには、自分が一人でL.A.に行ってもカミサンが怒らないくらいの収入が発生するか、それなりの収益を生むであろう仕事を向こうに作って行くほかありません。

こう書くと怪訝な顔をされる方も多いとは思いますが、
私は個人的に彼の地に「望郷の念」に極めて近い感情を抱いています。
そりゃ現地に住んでいる、または住んでいた方に比べれば非常に薄い結び付きです。
でも、初めて行った時からそう感じた、としか言えません。

初めてロサンゼルスに行ったのは、もう17年も前の1995年。
前述のKさんが5年の予定で赴任されていて、遊びに行こうと。友達と2人で。
奥さんが空港まで迎えにきてくれて、向こうでも色々連れて行ってくれて、
レンタカーで自分たちで運転してサンフランシスコにも行った。
楽しく過ごして乗り込んだ帰りの飛行機。忘れもしないシンガポール航空11便。
機種はボーイング747-400メガトップ。ゴーっと4発のエンジン音が響いて離陸して、
一気にロサンゼルスの街が眼下に見えてきた途端、何故か涙がボロボロ。
自分でも訳分からなかったけど、旅行であんな気持ちになったのは初めてだった。
その後も行くたびに帰りは同じような気持ちになった。さすがに泣きはしないけど。

あぁ、またあのロサンゼルス国際空港のいつも混んでる
トム・ブラッドレーターミナルのイミグレーションに並びたい。
入国管理官の、一見無表情だけどスタンプ押してくれる時にちょっとだけ見せてくれる
笑顔を見たい。スーツケースを必死の思いで見つけて、税関を風のように抜けて、
途中で180度ターンする緩やかなスロープを歩いて上がって到着ロビーに出たい。
レンタカー・オフィスに連れて行ってくれる、寒いほどエアコンが効いた
FMラジオが流れるオートマチック・シフトのシャトルバスに乗りたい。
レンタカーをピックアップして、ラ・シエネガ通りで市内を北上したい。
その途中でハンバーガー食べたい…。
書き始めると切りがない。

2年前、ラ・シエネガ通りを北上中。この辺はまだあんまり空港から遠くない。



その時乗ってた車。ダッジ・アヴェンジャー。

何か書くだけ書いてちょっとガス抜きができた感もあるので、
とりあえず仕事頑張るか。

2012年3月28日水曜日

父親に想う

今日、3月28日は自分の父親の32回目の命日です。

当時自分はまだ中学生。兄は大学生でした。
随分月日が経ち、徐々にその時の親父の歳に近づいてきた自分を
天上から親父はどんなふうに見てるだろう、と思う時があります。


自分と同じ役人の道を歩き始めながら辞めて方向転換したことを
根に持っているかも。同時に「もっと稼げ」って思ってるだろうな。

結婚は早くなかったけど、男の子2人の孫を目を細めて見ているに違いない。

めっきり歳を取った自分の妻、僕の母親を心配しているかも知れない。


…何だかんだ言って、年に何回かある節目の日であることは間違いありません。
 色々考えるけど、基本的には応援してくれていると思って踏ん張らなければ。

2011年11月16日水曜日

由紀さおりさん SAORI YUKI

数日前、歌手の由紀さおりさんが米国のジャズ・オーケストラとのコラボレーションで発表したカバー・アルバムの大ヒットのニュースを知りました。ブルーライト・ヨコハマや、ご自身の1969年のヒット曲「夜明けのスキャット」も収録されています。

今日の時点で検索して出てきたニュースの一つはこちら。


すごい、というか嬉しいのです。
「歌が上手な歌手」(よく見れば変な表現だ)が大好きな僕は、
数年前から由紀さんの歌声の素晴らしさを個人的に見直してまして、
特に「夜明けのスキャット」はシングル盤を探して手に入れたほどでした。
数年前に中古で手に入れました

ジャケットは二つ折りになっていて、広げると全身が!
































しかし「夜明けのスキャット」って響きだけでもロマンティックだけれど、
結構セクシュアルな題名だよなぁ。
スキャットって言えばスキャットだよなぁあれは(何を言ってる)。
それにしても今でもそうですが、歌声のきれいな事!
白く透き通ったシルクのようです。
サウンドは60年代の歌謡曲です。文字通り。
何が文字通りかって言うと、エコー感というか、響きに僕はその時代を感じるんですよね。
これはレコーディング・エンジニアの方か音楽関連のお仕事をされている方だったらわかるのかも知れませんが、何なんですかね。あの時代特有のエコー感というのは。
あの場末のスナックのドアの向こうから漏れてくるエコーのようにただ響くだけではなく、
渋みや艶があるというか、金属で言えば少し年月を経た真鍮のような品格がある響き。
当時の録音機材の特性なのかな。
ちょっと知り合いにその筋の人がいるので機会があったら聞いてみよう。

ところで由紀さおりさんと言えば、
昭和41年生まれの自分とっては土曜夜の8時 だヨ全員集合!に
よくゲスト出演されてたのを覚えています。ショートコントにも出ていて、
当日のゲストのアイドルに対向する年増の女性の役どころで
志村けんとからむ事が多かったような・・。
喋りも上手な印象がありますから、
きっと大いなるプロ根性を持った聡明な女性なのだと思います。

最 後にもう一言。ネットでニュースを見てると、
今回の由紀さおりさんの国際的なヒット、
特に「夜明けのスキャット」が英国で喝采を浴びた事に「今、なぜ?」とか「ヒットの不思議」
とかいうタイトルを付けている物が少なくないですが、
そういうセンスにため息を禁じえません。
いくら時が経とうがいい物はいい、い い歌はいい、いい歌手はいい。
「古いものはダメ」という固定観念を感じますね。

音楽は消費されるものではないと考えています。
時が経つのは自然の摂理だか ら仕方ありませんし、
現代でももちろん新しく素晴らしい音楽があふれています。
でも、時を経た楽曲でも「良いもの」はいつでもどんな時代でも
大きく評価さ れる可能性を帯びているし、そうあるべきだと思っています。
全っ然不思議じゃありませんよ。

2011年11月2日水曜日

Sunset Strip 1964

Youtubeで見つけた映像です。

1964年のLos Angeles、Sunset Blv(いわゆるサンセット大通り?)の
鮮明なカラー映像です。
まずはご覧下さい。



95年に初めてアメリカに行って以来、15回ほど訪れているロサンゼルス。
行くたびに必ず1回や2回はレンタカーで走る道です。

撮影されたのが何曜日の何時頃かわかりませんが、
最近に比べると車が少ない!走りやすそう!

街並みは正直今とそんなに変わってないのかなぁ、と思いましたが、
向こうに住んでいる知人に見てもらったところ、建物はほとんど
変わってしまっているそうです。自分の記憶力も大したことありません・・。

走っている車はさすがに時代を反映してますよね。
今ならいくらするかわらないような車がゴロゴロ走ってます(当たり前だ!)。

でも、実は車や景色もさることながら、映像の端に映るごく普通の人が
歩く様子に「どんな事考えながら歩いてて、この後どこに行ったのかな」とか
道端のゴミらしきものに「誰がどんなふうに捨てたのかな」とか、
「1964年にそこで確かに間違いなく生きていた普通の人の息づかい」
に思いを馳せてしまいます。

絶対に戻れない、行くことのできない世界を見ているからですかね。。