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2011年1月12日水曜日

哀愁のロス・アラモス(3) ~スペンサーさんに捧ぐ~

随分と間が空いてしまいましたが、アメリカ旅行で訪れた小さな街、
カリフォルニア州ロス・アラモスシリーズの3回目です。
今回は最初例によってちょっとおちゃらけ気味に始まりますが、
最後の方では色々と考えさせられる事になった体験を書いてみたいと思います。


怒涛のオニオンリング攻撃を耐え抜いたレストランを後にし、外に出た僕。
そのままモーテルに帰ろうと思ったのですが、レストランの斜め向かいあたりに
1件の小さなバーがあるのに気付きました。

店の名前は覚えていません。Googleのストリートビューで見ても昼間の撮影のせいか
今ひとつ「この店!」という確信が持てるビジュアルがないのですが、
とにかくあったんです。

ドアがライトで照らされ、中が見えない窓には日本でも良く見るビールのロゴのネオンサイン。
元々バー好きだった僕は、「おー」と思いながら、道路を渡り近くに歩いていきました。
中からはお客さん同士が喋っているのか、ガヤガヤと酒場特有の音が漏れてきます。

「うわーここ入りたいなぁ」

余り観光客相手のお店に興味がなかった僕は、アメリカの田舎街の小さなバーが
どういう空間なのかとても興味が沸いてきて、すぐにそんな気持ちになりました。

しかしながら、1人で初めて来た街、しかも異国。
なかなかドアを押して中に入る勇気が出てきません。
そこに見慣れぬアジア人が佇んでいるだけでも十分不審なのですが、
気が付けばそのバーのドアの前を行ったり来たり何往復もしていました。

次の瞬間、店の中から突然音楽が聞こえてきました。
しかも自分にとっては心を鷲掴みにされる曲。
それは、アレサ・フランクリンの「リスペクト」という大好きな曲でした。

「あぁ、こ、これはだめだ・・ギィ(ドアを押す音)」

音楽と酒が切り離せない僕は、頭で考える前に曲が聞こえて来た時点でドアを開けてましたね。

中に入ると、お店の中は比較的大きめな「コ」の字型のカウンターのみ。
満席で20人くらい?と思われるキャパに、6割くらいのお客さんが入ってました。
そして、ドアを開けた瞬間に、当然の事ながらほぼ全員の視線が僕に注がれます。

そこでひるんではダメダメ。

そう瞬間的に自分に言い聞かせ、平静を装いながら
空いているスツールを指して「座ってもいいですか?」とカウンターの中の
金髪のおネエさん(少なくともオバさんではなかった)に聞くと、あっさり

「もちろんいいわよ♪」

そりゃそうだ。別に強盗しに踏み込んだ訳じゃないんだもん。

ビールを頼みました。記憶が確かならクアーズ。向こうは大体小瓶で出てきてラッパ飲みです。
値段はこれも記憶が確かなら2ドル50。ロサンゼルス市内で飲むより随分安いな、と
思ったのを覚えています。

その頃には私に注がれていた視線も元に戻り、またお店の中はガヤガヤに。
お客さんは夫婦で来ていると思しき方々も多く、自分以外の全員が地元の人のように思いました。

その時です。ビールを二口くらい飲んだ頃でしょうか。
隣から不意に話しかける声がします。

「中国人か?」

見るとほぼ白髪のご老人でした。
東洋人が隣に座ったので、中国人と思ったのでしょう。
その方にしてみれば、身近な東洋人は中国人だったようです。

私は「いえ、日本人です」と答えました。
その後、その方と一言二言さらに会話した気もするんですが、よく覚えてないんですよね。
・・・その直後に目にした情景が、余りにも僕にとって驚きだった事がその理由です。


ご老人が、急に鼻をすすりながら涙ぐみ始めたのです。


僕は何が起こったのか全く理解できませんでした。
隣に座っているご老人が、僕が日本人だと分かった途端に泣き始めた。
いったいどうしたんだろう???

話を聞くと、名前はスペンサーさん。よく覚えています。
第二次大戦で日本相手に戦った経験を持った方でした。
そしてその次にスペンサーさんが目を真っ赤にしながら僕にかけた言葉を、
僕はこの先一生忘れることはないでしょう。


「あの戦争は、お互いのGovernment(政府)が悪かったんだ。だから、私と君は友達だよ」


そう言ってスペンサーさんは僕に握手を求めてきました。
僕も、少し戸惑いながらも手を差し出しました。
実はスペンサーさんは娘のル・アンさんと来ていたのですが、その娘さん曰く

「突然目の前に日本人が現れて衝撃的だったのよ」

会話の全ては記憶していないのですが、スペンサーさんは米国軍人だったことに
高い誇りを持っている、と言っていました。人生における自らの責務を果たしたわけですから、
1人の人間としては当然のことでしょう。

でも、戦争で他の国と戦い、攻撃し、命を奪う行為に対して葛藤もあった。
自分の国を愛し、守るために戦うけれども、日本人一人ひとりに恨みがあった訳じゃない。
そのことで、戦争が終わった後もずっと心に傷を抱えてたんだ。
・・・そう僕は受け止めました。

自分には戦争の経験がありませんが、両親から戦時中の話は聞いています。
何より、母方の祖父がフィリピンで戦死しています。
この適当な私のブログなんかで戦争の大儀や是非を語ることは到底できませんが、
戦争が不条理に満ちたものである事は間違いないと思います。

初めて訪れた異国の街で経験した思いもよらない出会い。
今、そのスペンサーさんがどうされているかは知る由もありませんが、
そのロス・アラモスでスペンサーさんに会った夜は私とってとても貴重な体験となったのでした。

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