一人でやってる社長の色々ブログ

好きなこと、趣味のこと、嬉しいこと、気になったことことなどを気楽にアップしていきます。

2011年9月19日月曜日

CHUCK JACKSON - ANY OTHER WAY ( WAND 141-B )

こんにちは。
ちょっと投稿テストです。
これでちゃんと更新できるのかな。

何しろおっさんだからなぁ。



紹介したのはChuck Jackson というシンガーの、中でもとても好きな曲です。
抑揚の付け方がすっごい好き。
心に響くのです。

2011年3月10日木曜日

溶ける景色と二郎さん

坂上二郎さん。
脳梗塞から復帰後の舞台を、明治座に2度見に行ったことがある。
欽ちゃんと一緒に「コント55号」という名前で出演していた。

最初の時は母親孝行みたいな感じ、
2度目は結婚前だった今のカミサンも連れて3人で。

兎に角笑えた。本当に面白かった。

掛け合いもそうだが、
舞台にソデから現れた時、既にえもいわれぬ面白みを帯びていた。
あれは笑いの「気」だったのだと思う。

『医者から水分をマメに取れって言われててねぇ!』

なんて言いながら、
時代劇だというのにストロー付けたペットボトルを懐から出して、
チュウチュウやって笑いのネタにしてたっけ。

「コント55号は一度は見ておかなきゃ」と急に思ったのがきっかけだったと思う。
今日しみじみと思った。見ておいて良かった、と。

自分の母親も二郎さんとあんまり変わらない歳だから、
もう一度くらい見に行きたいと思っていたけれど、叶わなかったな…。

昭和41年生まれの自分にとって、2人揃って出てたテレビで一番見たのは
「ぴったし!カンカン」かなぁ。久米宏が司会だった。
コントはやってなかったけど、トンチンカンな回答に合わせて
よく椅子から転げ落ちてたのを覚えている。

いつの間にか歳を取っていて、亡くなってしまった知らせに接して
えっ、と驚いてしまう昭和の方々が本当に多い。

普段忘れてしまっているけれど、同じように、自分も歳を取っているのだ。

谷啓さんや二郎さんが去っていったように、
自分にもいつか必ず「最後の日」が訪れる。その日に向かって驀進しているのだ。

普段それを忘れてしまっているのは、
物事が過ぎ去っていくスピードが余りに早くて見えないからなのかも知れない。
物凄いスピードで走る新幹線から見える景色が、溶けてしまうように。
ぼーっとしている暇なんかないんだ。

二郎さんの訃報を受けて、そんな事を改めて考えた。

――――
何年か前に買った「なんでそうなるの!」のDVD、また見よう。
二郎さんがドタンバタンやってるやつ。


2011年2月11日金曜日

新人登場

昨日の投稿で「まだ音沙汰なし」とか言っていたのですが、
210日の朝9時半頃に我が家の新人が生まれました。

昨夜、ブログの投稿を終えたのが午前2時前。
その後寝ていたら4時頃に「入院した」との知らせ。ブログ投稿直後だったんすよ。。

慌てて寝ぼけた頭を覚醒させつつ、
長野市の隣の隣の隣くらいの上田市にある病院に向かいました。

やや難航した時間帯はあったものの、入院後6時間くらいで無事出産。男の子でした。
今のところ2人とも元気で安心した次第です。

長男の時に続き、今回も出産には立ち会いました。
「感動した!」とかそういうのはまあ当たり前なんで声を大にして言いませんが、
あの大仕事をやり遂げるカミサン、というか女性は尊敬に値すると思いました。

で、です。
めでたく飲酒解禁です。

今日一人自宅に帰って来る時に酒屋で例のAncient Ageを探したのですが見当たらず。
代わりにすっごい昔に飲んだ記憶のある安いバーボン、HEAVEN HILLを買ってきました。
軽めで飲みやすい感じ。1050円ナリ。安い!
 
昨夜は夜更かし後すぐに病院に行くことになり2時間くらいしか寝てないので
今日はほんのちょびっとセルフ祝杯として飲んだだけですが、
久々のバーボン、しみました。

これから4人家族。気持ちを新たに踏ん張ります。

2011年2月10日木曜日

断酒中につき

1月中旬の投稿以来、随分と間が空いてしまいました。
ちょっと仕事でバタバタしていたとは言え、
ブログの更新すらできない余裕の無さっぷりじゃいかんですわなぁ。

さて、この場やツイッターなどでも少し書いてはいますが、
まもなく2人目のご子息 (oops!) 子供が生まれる予定です。

予定日は2月10日。…ってもう10日じゃないですか。まだ音沙汰なし?え?
うーん、だいぶ極まってはいるようですが、コウノトリが渋滞にはまってるようです。

今のところ特に問題は無いようなので、
新人のお出ましは流れに任せることとして本題です。

これまた既に呟いたりしていますが、実は111日からお酒を断っています。
もう1ヶ月が過ぎました。

何故かと言いますと、まず我が家の新人が無事に生まれるように、という「願掛け」です。
それから、出産予定日の約1ヶ月前からはいつ生まれてもおかしくなくなるので、
イザという時にいつでも車を運転できるように、という意味合いもあるのですね。
実際、長男は予定1ヶ月前の検診で「順調ですよぉ♪」という、
お医者さんの自信に満ちたコメントを頂いた3日後に生まれちゃいましたからね。

大人になって、1ヶ月お酒を飲まないというのは初めてなのですが、
特に「さ、酒…酒をくれぇ~」というような状況にもならず、淡々と過ごしています。
夕食時にアルコールゼロのビール風飲み物を飲んだりしてましたけど。

でも、今日…っていうか今。すっごいお酒飲みたい。何でだろう。いや飲まないけど。
すごい飲みたい気分なのです。一月たって禁断症状?まーそれは無いでしょうけどね。

何を飲みたいか。飲むとしたら。今。
今の率直な気持ちはバーボン・ウィスキーです。何故かバーボン。

最近は飲みに行く機会も激減し、お酒も弱くなってしまったのですが、
30代の前半くらいまでは良くバーに行って飲んでたなぁ。
 
色々なバーボンを試すのも好きでした。そんなに数は知らないけど、
Four Rose Of TexasSunny BrookJ.W.DantEzlla BrooksOld TaylorOld CrowKentucky Tavern…などなど、色々想い起こされますのです。
今では廃盤になったのもあるみたいだけど。
まぁケンタッキーで造られるバーボンはすごい数があるから、極々一部ですけどね。

そんな中で今一番飲みたいやつ。それは「Ancient Age」って名前のバーボンです。
ネットで古い広告の写真を拾ってきました(勝手に)
    








これは1961年の広告らしいです。うまそー。
これねぇ、飲みやすいんですよ。ホントに。旨い。すっごい好きだった。
酒屋で普通に買って家に常備してたくらい。
ロックで最初チビチビ、後にグビグビってな感じで飲んでました。

あー、久々に飲みたい。
新人が生まれたら買って来て飲むかなぁ。
今は宝酒造が輸入代理店か。まだ日本で売ってるんだね。良かった良かった。

ちなみにAncient Ageには10年ものもあって、その瓶には”Ancient Ancient Age”と書いてあります。3Aって呼ぶこともあるみたい。これも旨いんだぁ。ホント。

2011年1月15日土曜日

Johnny B Good

余りにも有名、余りにもスタンダード。

このチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」はそんな表現をしたくなります。
そもためにかえって余り聴く機会がない、という。

で、先日車で遠出をした機会があり車中で久々にじっくりと聴いたのですが、
今まであまり気にしたことがなかったピアノの音がとても気になりました。

イントロの超有名なギターから「ズン」とドラムが加わり、
程なくして聞こえてくるそのピアノなのですが、
1コーラス目の途中、というか終盤くらいまではおとなしくしているものの、
突然「もー我慢できねえぜ!!」と言わんばかりにクレージーな音色になってきます。

間奏なんかもう凄いです。
右手でブギウギを彷彿とさせる感じで高音叩きまくり!

そのピアノの音聴きたさに、車内で5回程リピートしてしまいました。

やっぱスタンダードになるだけの事はあるわー。すごいわー。
・・・と、1人で雪の中を運転する車内で口を半開きにしていたのでした。

今度1人で「大スタンダード大会」をやろうかなぁ。
リトル・リチャードとか、バディ・ホリーとか、エディ・コクランとか。

また新しく自分中で発見する事があるかも知れないです。




2011年1月13日木曜日

哀愁のロス・アラモス(番外)

過去3回にわたり、書いてきましたカリフォルニアの小さな街、ロス・アラモス。
エピソードのご紹介は終わりとなりましたが、
当時の写真を少ないですがご紹介します。

当時はデジカメなど持っていなかったので、古いプリントをスキャンしたので
色があまり綺麗ではないですがご勘弁下さい。




まずはメインの通りにあった古いガソリンスタンドの跡地。
非常にクラシカルな形のポンプが残っていました。



続いてこれまた古い建物の「ユニオンホテル」。
果たしてホテルとして営業していたのか、はたまた遺産として残していたものなのか
ちょっと分かりませんでしたが、100年くらい(適当換算)経ってそうな趣でした。



最後は、サマランチ親父が経営していたモーテルの中庭で撮ったものです。
顔出しする勇気はありませんでしたが私です。
バックのモロ50’sのボロ車は親父さんの持ち物でしょう。
運転席の窓のガラスがなく、シートで覆ってありました。
ボディもサビサビです。直して乗るつもりだったのかなぁ。



いやー、終わってみれば全然哀愁でもなんでもないお話でしたが、
ご覧頂きありがとうございました。

ロス・アラモスへはその後まともに行ったことはないのですが、
数年前にやはり貧乏旅行で行った際にメインストリートを通り抜けたことはありました。
全然雰囲気は変わってなかったですが、 今はどうかなぁ。
サマランチ親父まだやってるかなぁ。。

2011年1月12日水曜日

哀愁のロス・アラモス(3) ~スペンサーさんに捧ぐ~

随分と間が空いてしまいましたが、アメリカ旅行で訪れた小さな街、
カリフォルニア州ロス・アラモスシリーズの3回目です。
今回は最初例によってちょっとおちゃらけ気味に始まりますが、
最後の方では色々と考えさせられる事になった体験を書いてみたいと思います。


怒涛のオニオンリング攻撃を耐え抜いたレストランを後にし、外に出た僕。
そのままモーテルに帰ろうと思ったのですが、レストランの斜め向かいあたりに
1件の小さなバーがあるのに気付きました。

店の名前は覚えていません。Googleのストリートビューで見ても昼間の撮影のせいか
今ひとつ「この店!」という確信が持てるビジュアルがないのですが、
とにかくあったんです。

ドアがライトで照らされ、中が見えない窓には日本でも良く見るビールのロゴのネオンサイン。
元々バー好きだった僕は、「おー」と思いながら、道路を渡り近くに歩いていきました。
中からはお客さん同士が喋っているのか、ガヤガヤと酒場特有の音が漏れてきます。

「うわーここ入りたいなぁ」

余り観光客相手のお店に興味がなかった僕は、アメリカの田舎街の小さなバーが
どういう空間なのかとても興味が沸いてきて、すぐにそんな気持ちになりました。

しかしながら、1人で初めて来た街、しかも異国。
なかなかドアを押して中に入る勇気が出てきません。
そこに見慣れぬアジア人が佇んでいるだけでも十分不審なのですが、
気が付けばそのバーのドアの前を行ったり来たり何往復もしていました。

次の瞬間、店の中から突然音楽が聞こえてきました。
しかも自分にとっては心を鷲掴みにされる曲。
それは、アレサ・フランクリンの「リスペクト」という大好きな曲でした。

「あぁ、こ、これはだめだ・・ギィ(ドアを押す音)」

音楽と酒が切り離せない僕は、頭で考える前に曲が聞こえて来た時点でドアを開けてましたね。

中に入ると、お店の中は比較的大きめな「コ」の字型のカウンターのみ。
満席で20人くらい?と思われるキャパに、6割くらいのお客さんが入ってました。
そして、ドアを開けた瞬間に、当然の事ながらほぼ全員の視線が僕に注がれます。

そこでひるんではダメダメ。

そう瞬間的に自分に言い聞かせ、平静を装いながら
空いているスツールを指して「座ってもいいですか?」とカウンターの中の
金髪のおネエさん(少なくともオバさんではなかった)に聞くと、あっさり

「もちろんいいわよ♪」

そりゃそうだ。別に強盗しに踏み込んだ訳じゃないんだもん。

ビールを頼みました。記憶が確かならクアーズ。向こうは大体小瓶で出てきてラッパ飲みです。
値段はこれも記憶が確かなら2ドル50。ロサンゼルス市内で飲むより随分安いな、と
思ったのを覚えています。

その頃には私に注がれていた視線も元に戻り、またお店の中はガヤガヤに。
お客さんは夫婦で来ていると思しき方々も多く、自分以外の全員が地元の人のように思いました。

その時です。ビールを二口くらい飲んだ頃でしょうか。
隣から不意に話しかける声がします。

「中国人か?」

見るとほぼ白髪のご老人でした。
東洋人が隣に座ったので、中国人と思ったのでしょう。
その方にしてみれば、身近な東洋人は中国人だったようです。

私は「いえ、日本人です」と答えました。
その後、その方と一言二言さらに会話した気もするんですが、よく覚えてないんですよね。
・・・その直後に目にした情景が、余りにも僕にとって驚きだった事がその理由です。


ご老人が、急に鼻をすすりながら涙ぐみ始めたのです。


僕は何が起こったのか全く理解できませんでした。
隣に座っているご老人が、僕が日本人だと分かった途端に泣き始めた。
いったいどうしたんだろう???

話を聞くと、名前はスペンサーさん。よく覚えています。
第二次大戦で日本相手に戦った経験を持った方でした。
そしてその次にスペンサーさんが目を真っ赤にしながら僕にかけた言葉を、
僕はこの先一生忘れることはないでしょう。


「あの戦争は、お互いのGovernment(政府)が悪かったんだ。だから、私と君は友達だよ」


そう言ってスペンサーさんは僕に握手を求めてきました。
僕も、少し戸惑いながらも手を差し出しました。
実はスペンサーさんは娘のル・アンさんと来ていたのですが、その娘さん曰く

「突然目の前に日本人が現れて衝撃的だったのよ」

会話の全ては記憶していないのですが、スペンサーさんは米国軍人だったことに
高い誇りを持っている、と言っていました。人生における自らの責務を果たしたわけですから、
1人の人間としては当然のことでしょう。

でも、戦争で他の国と戦い、攻撃し、命を奪う行為に対して葛藤もあった。
自分の国を愛し、守るために戦うけれども、日本人一人ひとりに恨みがあった訳じゃない。
そのことで、戦争が終わった後もずっと心に傷を抱えてたんだ。
・・・そう僕は受け止めました。

自分には戦争の経験がありませんが、両親から戦時中の話は聞いています。
何より、母方の祖父がフィリピンで戦死しています。
この適当な私のブログなんかで戦争の大儀や是非を語ることは到底できませんが、
戦争が不条理に満ちたものである事は間違いないと思います。

初めて訪れた異国の街で経験した思いもよらない出会い。
今、そのスペンサーさんがどうされているかは知る由もありませんが、
そのロス・アラモスでスペンサーさんに会った夜は私とってとても貴重な体験となったのでした。