一人でやってる社長の色々ブログ

好きなこと、趣味のこと、嬉しいこと、気になったことことなどを気楽にアップしていきます。

2010年10月31日日曜日

行きたい病再発

久々のエントリです。
世界中でも片手で足りるくらいの数と思われる読者の皆様、お元気ですか?
今年の夏は暑かったですが


「あぁっ!!」

という間に季節が移り変わり、既にストーブの季節到来です。


そんな中ですが、本日唐突に例の病が再発致しました。
えぇそうです。「ロサンゼルス行きたい病」です。
もう頭の中は妄想だらけです。

まず、成田に行くわけですよ(頭の中で空想)。
僕は長野という地方に住んでるので車または新幹線&スカイライナーかなんかで時間かけて。
羽田もロサンゼルスに直行便が出るようになりましたが、使ったことないので
空想のしようがなく、ここでは出てきません。

成田に着いたら航空会社にチェックインです。
航空会社は多分シンガポール航空かユナイテッド航空。
全日空のマイレージ会員ではあるのだけれど、シンガポール航空は
同じスターアライアンスだし、成田出発が一番遅いので地方から行くには都合が良く、
さらに向こうから帰ってくる時も出発時間が遅いので当日の朝バタバタしなくて済むのです。

免税をひやかし、飛行機に乗り込み、
長距離なので燃料満載につきやや長めの滑走を経て離陸、

食べたり飲んだり寝たり映画見たり寝たりゲームしたりトイレ行ったり屈伸運動したりしながら
何となくサンフランシスコ上空あたりになり、眼下にカリフォルニアの地が広がります。
そろそろ入国用の書類I-94と税関申告書を書いたり。

この辺から段々心のボルテージが上がってきます。
到着は大体現地の昼過ぎの時間。
「着いたら昼飯何食べよう」「夕飯何食べるかな」「ハンバーガー屋は外せまい」
・・・大抵食べること中心です。

ロサンゼルス上空に差し掛かります。高度も随分落ちてきました。
窓からダウンタウンのビル郡が見えたりしてくると、着陸間近です。
「ポーン♪」
シートベルト着用サインも点きました。
そうそう、倒していた座席の背もたれも元に戻して下さいね。
おっと、機体が右に旋回し始めました。ここから180度向きを変え、海に機首を向けるのです。

ロサンゼルス国際空港の周辺にはInglewoodという地区があり、
ロサンゼルスレイカーズの本拠地のスタジアム(っていうのか?バスケは)も
上空から見えますよ。ちなみに余り治安の良くない地域と言われていますね。

どんどん地表が近づいて来ます。
道路を走る車やお店のサインも良く見えます。
空港近くを走るインターステートハイウエイの405号線を超えると・・・

1分も経たないうちに滑走路に差し掛かり、そのまま「ドン」と接地!
同時に「ゴォーーー」とエンジン逆噴射!機体にグッとブレーキがかかります。

「うわーい着いた着いた♪」

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・・・・こんな事をこの2時間くらいずっと考えているのですよ。あぁ。。

当分行けないよなぁ。
今年2月にカミサンの白い目を尻目に行ってきたばかりだし。
お金ないし。
2月にもう一人子供生まれるし。。

こうなったらバンバン稼いで仕事名目で行こう。(あくまで「名目」)
それをモチベーションに仕事するべ(´_`)

拾い物の写真。走ってる車から想像するに50~60年代のロサンゼルス国際空港。今は駐車場は複数階層です。

2010年10月10日日曜日

佐野元春さんという存在

私にとって、佐野元春さんというミュージシャンの存在はちょっと特別なものがあるのです。
(今回は長文になりそうな予感)

最初に知ったのは高校時代。
昼休みに校内放送で「Rock & Roll Night」という曲が流れた日がありました。
それを、教室で僕の斜め左後ろに座ってた柔道部の小松君が眼を閉じて聴き入っていたのです。

曲はけっこう長い曲で、途中で音が控えめになり、囁くような歌声になるところがあり、
そのあたりで僕が話しかけようとしたら
「ちょと待て!これからいいとこなんだから!」と遮られました。
そう、終盤盛り上がる曲なのです。

「そんなに好きなんだ」と思うと共に、
そこで初めて佐野元春というミュージシャンに興味を持ったのでした。

当時はレンタルレコードの時代。LPなんて少ない小遣いでなかなか買えるもんじゃありません。
それまでに佐野さんは既に3枚のアルバムを出していて、最初に借りたのが「SOMEDAY」。
そう、小松君が陶酔してたあの曲が入ってるヤツです。ついで他の2枚も借りました。

これは聴くほどにハマりましたねぇ。まるで自分の中の心の視界がパーッっと開けていくように。
サウンドのカッコ良さもさることながら、都会で生き、そして悩む若き主人公を描いた歌詞の数々。
その世界に憧れを抱きました。

あぁ思い出した。その頃ちょっと(てかだいぶ?)好きだった1個コ下の女の子も、
やっぱり佐野さんが好きだ、っていうことが後にわかって、けっこう話が盛り上がったっけ。。
(こういうパターンは割とその後そのコとうまく行きそうなもんだけど、
僕の場合は「お兄さんみたいだから」なんて言われて撃沈。あーそうですよフラれましたよ)

フラれ話は置いといて、ここからが僕的に重要なハナシです。
佐野さんの曲で特に好きだった「悲しきレイディオ」という曲の歌詞の中に
ジーン・ヴィンセント、チャック・ベリー、リトル・リチャード、バディ・ホリーと
4人の名前が出てくるところがあり、聴き込んでいくほどに
「この人たちはいったいどういう音楽をやってるんだろう」と思うようになったのです。
同じように「ダウンタウン・ボーイ」という曲にはマーヴィン・ゲイの名も出てきます。
自然に、その人たちの音楽も聴いてみよう、という気持ちになりました。

そうです。今の私の音楽的な趣味をかたちづくる大きな大きなきっかけが、ここだったのです。
上に書いた5人の偉大なミュージシャンを知ることで、50年代からのアメリカのポップスや
ロックンロール、リズム&ブルース、そしてソウルへと、好きな音楽が広がっていったのでした。

佐野元春さんは、私の「原点」なのです。今でも、良く聴きます。これからも応援してます。

え?野球ばっかしてた高校時代はクリクリ坊主でフラれた相手は野球部のマネージャーだろって?
あー、えーそのー何だ。それは何ていうかムニャムニャムニャ…ほっといて下さい。


2010年10月1日金曜日

心で聴く瞬間

私は聴く方専門ですが、音楽が大好きです。

ところで、昔から好きだった曲や知ってた曲が、
聴く時やシチュエーションによって全然違って聞こえて来る時がありませんか?

「知ってる」程度の曲だったのに、何かの拍子に、急に自分の中に入り込んでくる。
あるいは、今ひとつ響かなかった曲が突然心を打ち震わせる。

私には二つの耳のほかに、きっと四方八方に向かって「心の耳」があるようです。
嬉しい時、楽しい時、悲しい時、苦しい時、寂しい時。そして、人生の年輪を重ねた時。
その時々で異なる方向に開いた心の耳に、瞬間的にスッと入り込んで来る曲。歌声。

そんな時、僕は全く動けなくなってしまうくらいの熱い感情が沸き起こってくる事もあります。
やっぱ音楽っていいなぁ。
自分の場合、割と狭い守備範囲だけど。

で、以前そんな気分になった曲を一つ。興味があればお聞き下さい。

この曲は、歌ってる人や映像にあまりとらわれずに聴いてみて下さい。
それもできればヘッドフォンで大きめのボリウムで。
透き通った、どこまでも高く伸びる歌声、声量。
来生えつこさん、たかおさんが描いた世界を完璧に表現する力。素晴らしいです。

息子が生まれてしばらく経った頃、いつまでも夜泣き止まず夫婦で困り果てた時、
息子をおぶってこの曲をかけたステレオの前を歩いてたこともあったなぁ。
結局泣き止まなかったけど自分の心がとても癒されました。

2010年9月18日土曜日

2軍落ちと現役復帰

去年、高校以来約27年ぶりに新しいファーストミットを買いました。

それもアメリカから個人輸入で。

ちなみにコレ↓














アメリカ・イーストン社の結構上位ランクのやつ。
日本で同等のものなら4万円は下らないと思われる質感にも関わらず、
国際送料を入れても1万ちょぼちょぼで手に入りました。

しかも、アメリカは軟式野球という概念がないので、全て硬式用。
これは日本ではリトルリーグでバットなんかが名が知れているようですが、
非常にマイナーな存在のブランドです(西武の投手が誰か使ってたかも)。
でもマイナー好きの私としては満足な買い物をした、と満足でした。
これで、高校時代から使い続けていたミットをいよいよ殿堂入りさせよう、と。
「今までお疲れさん!」とか言って地味に祝杯とか挙げてました(笑)。

しかしながら。

新しいミットで臨んだ今シーズン、エラー連発。

冬の間に手に馴染ませようと色々やってたのに、それでもまだダメみたい。
やはり昔みたいに毎日練習している訳じゃないから馴染みも遅いんだ。
自由に開閉できているつもりでも、玉際の微妙な手さばきができてない。
今まで簡単に捕ってたショートバウンドも弾いてしまう始末。。

 
で、草野球とはいえ大会もあるし、背に腹は替えられない、と決断しました。


「殿堂入りしていた旧ファーストミットを現役復帰させる」
「イーストンよ、オマエは2軍落ちだぁ!」


これは実は大きな決断でしたんですよ奥さん(何だそれ)。

使い続けて25年以上、元々しっかりした物だったとはいえ、各部が擦り切れつつあり、
これ以上ボロボロになってしまう前に姿をとどめておこう、と悩んだ末決めたこと。
それが復帰となるとプロ選手で言えば引退して解説者になっていたヴェテランが
現役に戻るようなものです。

既に旧ミットで練習試合を1試合やりました。
感想。「もっと早くこっち使ってりゃ良かった(-_-)」

ちなみに復帰させたのはコレ































ミヅノの硬式“Professional”。多分1982年頃製造。
当時市販されていたミヅノの硬式グラブシリーズの中の最上位モデル。
掌に当たる内張りは鹿皮!
高校1年の時、6歳上の兄が住む東京まで出かけていって、
神田のミヅノの本店まで行って買ったんだよなぁ。兄貴のバイクで2ケツして。

オフクロから費用はもらっていったんだけど、「どうせ買うならいい物を買え」と
足りない分を兄貴が出してくれたような気がする。感謝だ。兄貴。

けっこうボロボロだけど、経過年数の割にはまだしっかりしてると思います。
ていうかこれを使い続けるべき?

ストラトスというクルマ


だいぶ更新が滞ってしまいました。
今日は、車の話です。上の写真のクルマ、ご覧になったことがありますでしょうか?

クライスラー・ストラトス

95年から97年くらい(多分)までクライスラー・ジャパンが正規販売していた超不人気車です。
そう、私乗ってました。1年半程前まで。

自分が買ったのは97年。業者に頼んでオークションで落としてもらいました。
安かったんですよ。1年落ちで走行距離8000キロ、まだ車内は新車のにおいがするレベルで
既に新車価格の半分ほどで買えました。

お金が無かったというのもありますが、このスタイルが好きだったのです。
何と言ってもアメリカのクルマに乗りたかった。

2500ccで、エンジンはV6。しかもミツビシ製。なので純然たるアメリカ車とは
言えない部分もあるのですが、スタイリングや車内の何とも言えないチープさが
とても気に入っていました。
何より、一番気に入ってたのはオーディオ。アメリカのセッティングなのか、
低音がよく鳴っていて良い音をしていました。

結局手放した時には走行13万キロ。
去年も車検を受ければ問題なく通りまだまだ走れたかと思ってましたが。。。

昨年、一人で会社作って仕事を始めるにあたり、泣く泣く手放したのでした。
さすがにこれで営業に回るわけにも行かず。。ね。




横からの図。リアフェンダー上のくびれ?が好きだった。

後方から。グラマラスでダイナミック。




今更これを紹介するのもどうか、と思っていたけれど、
やはり長く乗って愛着があったので時々思い出すのですよ。
なので。

実は今乗っている車は、ストラトス号を面倒見てくれていたショップの社長が紹介してくれた
激安の欧州コンパクトステーションワゴンなのだが、次はやはりアメリカのクルマに乗りたい。
あのチープさ(というか緩さ?)が乗ってて何だかホッとするのです。
「しょうがねぇなぁ、オマエは」みたいな。

2010年9月11日土曜日

谷 啓さんへ

谷啓さんへ



こんにちは。初めまして。
あの、最初から大変失礼かと思いますが、「谷さん」って呼ばせてもらっていいですか?

谷さん、私は今まで谷さんがとても長く人々の心を和ませてきてくれたことに感謝しています。
高度経済成長の時代、昭和の終焉、そして平成と日本を支え、
時には疲れていたであろう人々を笑顔にし、
その結果「また明日頑張ろう!」と思うことができた人は数知れぬことでしょう。

私は昭和40年代の初頭の生まれです。
恥ずかしい話、クレイジーキャッツのメンバーの方々が演じられた映画には正直あまり詳しくありません。
「大人の漫画」もテレビの企画物やWEB上の動画サイトでしか見たことがありません。

でも、私が子供の頃、そうカラーテレビがもう当たり前になった頃、
テレビで「あのギャグ」をよく見ていました。
谷さんの優しい眼差しも子供心に好きでした。
もちろん今でも眼差しの優しさはそのままですよね。
少し前にNHKの美術番組に出演されてた時はよく拝見していましたよ。

そして何よりも、時折番組で披露してくれたトロンボーンの演奏がとても好きなんです。
最近も、今年になって始めたtwitterで昔の同僚と谷さんの演奏について話題にしていたんですよ。

「谷さんはトロンボーンを演奏しているときの目が凄い」
「演奏している時の谷さんは完全無比なジャズメンだ」
「ジャズへの愛にあふれた演奏だ」

私はいつもそう思っていました。
いつか、谷さんの演奏をこの目で見たい。
地方に住む私には少ないかも知れないけど、けど、まだそのチャンスはあるはずだ!


・・・こんなふうに今日の今日まで思っていました。


でも、谷さん、

急に旅立たれてしまいましたね。

きっと天国のハナさんと植木さんが「おい!やっぱトロンボーン入れよう!」
って急に呼んだのでしょうね。

今は、正直自分の中の気持ちがなかなか整理できずにいます。
でも、やっぱりお礼言わせてください。ありがとうございました。

誰でもそうですが、いつか私もそちらへ行くでしょうから、その時は近くで
トロンボーンを吹いている姿を間近で見させて下さいね。

それから、最後にとても図々しいお願いなんですが、
そちらでのステージに上がられた時、うちの親父がいたら「元気でやってる」
って伝えてくれませんか?
親父に顔がそっくりな孫も元気だよ、って。

では、そろそろこの辺で。
いつか「その日」が来たら改めてご挨拶させて頂きたいと思います。

平成22年9月11日
ebizo


DannyBoy・谷啓・桜井センリ・ヒデ・広田三枝子

2010年9月9日木曜日

新潟市

新潟に行きたいのです。


自分は長野生まれ今も長野に住んでいますが、実は父親の転勤なんかがあって、
小学校入学から高校卒業までのヒジョーに多感な時期を新潟市で過ごしました。
なので心は「新潟育ち」「新潟人」の意識が強いのです。

え、オマエの生い立ちに特に興味はないって?
まーそう仰らずにもう少しお付き合い下さいな。

最近歳のせいか子供の頃をよく思い出すんだよねぇ。
子供ができて父親になり、自分と重ねてるってのもあると思うけど。

住んでいたのは地元で西新潟と言われる青山という地区。
通った小学校は青山小学校。中学は小針中学校。
小学校の屋上からは海が見えたっけ。


家も海に近く、チャリで10分くらいでもう海。
だから夏休みなんかはよく海に行った。もう「ヒマだから海でも行くか」って感じ。
信州人のカミサンは、海水浴と言えば「暗いうちに家を出る夏の一大イベント」っていう
感覚でいるのだけど、こっちはそんな子供時代を過ごしてるので
いまだにその部分だけは感覚が合わない 。

そんな新潟に行きたいのですよ。最近。
いやそんな事言わずにとっとと行けばいいのだけど、
我が家の2歳児はまだ長旅が難しそうだし、なかなかね。。

寿司を食べたり美味しい新潟のお酒を飲みたいのもあるのだけれど、
昔の同級生を誘って、当時住んでた辺りとか自分の足で歩き回りたい。

自分の中の新潟の象徴「万代橋」。心の風景。
















思春期を過ごしただけに、色々と思春期ならではの「恥ずかしい記憶」もある新潟。
その辺の恥ずかしい話は往々にして高校時代に集約されている(!)ので次の機会に
書いてみたいと思います。 次の機会がいつかは決まってませんけど。

※上の写真は新潟出身でライター・編集者として活躍されているタカノシゲミツさんのブログ
Back Number 16に掲載されたものをお許しを頂いて掲載しています。こちらも是非ご覧下さい!